【ひとりひとりが特別だった】ー①あきらくんのこと
私は昔、知的障がいのある子どもたちが通う(特別)支援学校の小学部の教員をしていました。
30代の半ばから40代半ばの頃ですから、もう25年から15年前の話です。
ちなみに大阪府では、「特別支援学校」ではなく、「支援学校」と呼びます。「特別な」支援ではなく「あたりまえの」支援をする学校だという考え方から来た呼び名です。ここからは、大阪府の考え方に従って、「支援学校」と書きます。
2022年9月、日本は国連の障害者権利委員会から「障害のある子どもを分離した特別支援教育をやめるように」と勧告を受けました。
私もインクルーシブ教育の理念は理解できます。
けれども、日本の支援学校で日々行われている教育は、そう簡単にやめることのできるものではないと思います。
私自身、35年の教員生活で最も充実していたと感じるのは知的障がいのある子どもたちが通う支援学校小学部での9年間です。
ひとりひとりの子どもたちの小さな成長を、保護者さんと一緒に驚き、喜び合った日々の思い出は私の宝物です。
支援学校での思い出は、このnoteを始めた頃にも掲載させていただいたのですが、今回読みやすく書き直し、【ひとりひとりが特別だった】シリーズとして再掲載させていただこうと思います。
※個人が特定されないよう脚色しています。
あきらくんのこと
支援学校小学部3年生のあきらくん。
うんちはパンツの中でしかできないし、体も小さいけれど、人一倍元気で人懐こい性格です。
朝、通学バスの窓から必死の形相で担任の私の姿を探し、バスが停まると一目散に走ってきて私の胸に飛び込んできてくれます。
あきらくんはなんだかわかりませんが、いい匂いがします。
今でも覚えているぐらいです。
靴を履き替えて、教室に行くまで、手をぎゅっと握ってずっとおしゃべりをしてくれます。
あきらくんは、ことばは出ないのですが、身ぶり手ぶりと表情と「あ」だけでなんでも伝える天才なのです。
たとえば給食の後のこと。
こんな感じです。
ある日、お母さんと一緒に街へお出かけ中のあきらくんと偶然出会いました。学校がお休みの日です。
私が家庭訪問に行くと、「ここは学校じゃないのに先生がいるのはおかしい」というように、お母さんの後ろに隠れて怖い顔をするあきらくん。
街で見かけたらパニックになってしまうかも、と心配で、顔を背けて歩いていたのですが、見つかってしまいました。
もう可愛すぎて、パンツを何枚でも洗ってあげたくなりました。
あきらくんももう20代の後半ぐらいになっておられるはずです。
実は妹さんにも知的障がいがありました。
いつも優しい笑顔でお子さんたちを見守っていらっしゃったお母さまは50代くらいでしょうか。
その後の人生、さまざまなご苦労があったのではなかろうかと想像するばかりです。