元国語教師が『それから』を読み直してみた話
『三四郎』を読み直してみた記事から1週間。
次は『それから』を読みます、と書いておきながら「巨大地震情報」にオタオタし、読書に集中できずにおりました。
とりあえず気になるところの確認は終えたので、ようやっと読書をする気になりました。
あらすじ
主人公の長井 代助は、父親の援助で一軒家を構え、悠々自適の生活をする30歳になろうかという男。職業のために汚されない生き方を良しとする。
対照的に代助の親友平岡は、大学卒業後は銀行に就職している。
3年前の話。代助と平岡の共通の知人だった菅沼が亡くなり、妹の三千代だけが残された。
代助も平岡も三千代を愛していたが、代助は身を引き、平岡と美千代を引き合わせた。
だが、三千代は子供の死を契機に体調を崩す。
その後、部下による公金使い込みが支店長に及ぶのを避けるため平岡は辞職を余儀なくされ、三千代と共に上京し、代助に就職斡旋を依頼する。
三千代が気になる代助は、平岡の不在時に家を訪ねては三千代の心を慰めていた。
そんなある日、三千代が代助の自宅を訪ねる。
三千代は代助に500円の借金を頼みに来たのだった。三千代に頭を下げられた代助は自分がそれまで金には不自由しない身だと信じていたが、愛する女性が恥を忍んで頭を下げるのにすぐに用立ててやれないその現実に、金に不自由な自身を自覚する。
美千代への思いを募らせる代助は、三千代を自宅に招き寄せる。
「ぼくの存在にはあなたが必要だ。どうしても必要だ。ぼくはそれをあなたに承知してもらいたいのです。承知してください」と愛を告白する。
三千代もその実、結婚前から代助を愛していた。だが、愛する代助に「すてられ」結婚を斡旋されたので平岡に嫁いだ。代助の告白は平岡と結婚する前の3年前に聞きたかったと三千代は泣く。
だが、代助は経済的に自立しておらず、半人前以下の身で愛する三千代を物理的に助ける術を持たない自らの身を責める。
その一方、代助と三千代は密会を重ねていた。
自分はどうしてもどうなってもいいからという三千代。
ますます責任を重く感じる代助。「就職」と真剣に対峙しなければならないと思い詰める。
代助は、平岡にも事と次第を伝える必要がある。
代助は平岡に宛て手紙をしたためるが返事が一向に来ない。
門野を使いにやると三千代が卒倒したとのこと。
三千代は病床で、謝らなくてはならないことがあるので、代助のもとに行ってくれと平岡に告げる。
訪ねてきた平岡に対して代助は三千代を譲ってくれるよう頭を下げて頼み込む。
平岡も三千代を譲ることを了承するが、病身で渡したのでは自分の義理が立たないから、せめて回復してからにしてくれと告げる。
そして、二人は互いに絶交するのだった。
その後平岡は、事の顛末を長い手紙に書いて代助の父に送り、代助は父から勘当される。
美千代が平岡のもとで死んでしまうのか、回復して代助と共に生きることになるのかは明らかにされずに物語は終わる。
朝日新聞の連載小説はなかなか過激だった
『それから』も『三四郎』と同じく、朝日新聞に連載されていた小説です。
その頃連載されていた小説を並べてみますと、
1908年9月~12月 『三四郎』
1909年1月~5月 『煤煙』(森田草平)
1909年6月~10月 『それから』
『三四郎』と『それから』の間に、森田草平の『煤煙』がはさまっています。
『煤煙』については、上記の『三四郎を読み直してみた話』でも触れていますが、漱石の弟子である森田草平が、平塚らいてうと心中未遂をしたことを題材にして書かれたもの。
心中未遂事件は1908年の3月ですから、まだ記憶の生々しい頃に小説にして、新聞に連載していたということですね。考えられない…。
また、『それから』の前半には『煤煙』について主人公の代助が語る部分があります。
代助に、書生の門野が新聞を見ながら世間話をする場面から。
『それから』の代助、美千代は、『煤煙』の要吉(森田草平)、朋子(平塚らいてう)のようには生きられない、ということ、代助・美千代は「誠の愛により社会の外に押し流されて行く人間たちである」ということを、物語の初めの部分で明らかにしているのですね。
そのころの朝日新聞の連載小説、週刊○○みたいだな~。
感想
こんな小説、人並み以上にうぶな高校生だった私はどう感じていたのでしょう。
「こんな一途な恋がしてみたいわ~💗」
とときめいていたかもしれません。
アラカンの今読むと、
「あらま~、あなたたちそんなに思い詰めたらしんどいですわよ~」
と主人公に声をかけたくなります。
代助はこのあと、あれほど避けてきた「食べるための仕事」をするのでしょうか。
美千代は代助と再会できずに死んでしまうのでしょうか、それとも回復して代助と人生を歩むのでしょうか。
『門』に続く…