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【退職後の生活】三十三間堂の「頭痛封じ守り」が本当に効いているとは!


今年の初めに家族で三十三間堂に参りに行った。頭痛持ちの次男が「頭痛封じ守り」を購入。次男は普段、日中にウトウトすると必ず頭痛がするというので、痛み止めを持ち歩いている。

先日、「お守りは効いた?」と冗談半分で聞いてみたところ、「効いてるねんよ、それが。あれから一回も薬飲んでないねん。びっくりやわ。」というではにないか。

三十三間堂には、後白河上皇の頭痛が平癒したという伝説があり、「頭痛封じの寺」と言われているとのこと。頭痛専門堂ではないか。年に一度、1月に、頭痛に効くという「楊枝(やなぎ)のお加持」法要も行われているらしい。平安時代からずっと続いているという。

思えばわれらがご先祖は、天災でも病気でも政権奪取でも「加持祈祷」頼み。それで何とかなっていたこともきっとたくさんあったはず。いや、IT時代の現代人も、「頼みにするもの」や「こと」や「人」がいる。そんなに変わらない気がする。

「痛いの痛いの飛んでいけ~、で痛いのが本当に飛んでいく」とか、「調子が悪くて病院に行ったが、ドクターの顔を見ただけで治る」などということがある。「咳によく効く薬だと処方されて飲んだら、とても調子が良くなった、しかしそれはラムネだった」とか?さすがにこれはないか。しかし、プラシーボ効果というものは確実にある。

「お守り」も「加持祈祷」も本当に効くのだと思う。「これがあるから大丈夫」とか、「祈祷してもらったから絶対にうまくいく」とか、そういう風に思える人には。祈祷を信じていた昔の人にはよく効いたはず。

豪勢な神社仏閣や立派な仏像なんかは、その時代の権力者が、強力に頼りになるものが欲しくて作らせたものなのかもしれない。本当は、信頼する人から「これは君を守ってくれるからね」と手渡された小石でも、きっと大仏さんと同じかそれ以上に、心の頼みになることがあるのだけれど。

実は私も「お守り」、「おまじない」を頼りにする方だ。受験の前、お守りを持って祈ったし、人前で話す前に隠れて「人の字」を掌に書いて飲むし。人に助けられてきたのはもちろんだが、こんな小さな物や事にも助けられてきたのだなぁ。そういう目で身の回りを見回すと、私や家族を助けてくれたものに溢れているではないか。私は守られている。


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