「子どもを預けてまで働きたい?」自分に問いかけて選んだ道〈第2話〉
こんにちは。
コトバを磨くと、ビジネスが加速する
アトラクト・ライティングの菊地郁子です。
前回は、新卒で働いた会社が合わず転職した経緯と、恵まれた環境で働きながら「本当にやりたいこと」を探す旅が始まったことを書き綴りました。
参考記事▶︎▶︎▶︎
「子どもを預けてまで働きたい?」自分に問いかけて選んだ道〈第1話〉
今日は、やりたいことが見つかった出来事と、フリーランスで働く道を選んだ転機についてお話ししたいと思います。
●妊娠が教えてくれた大切なこと
2社目に転職して「本当にやりたいこと」ってなんだろう?と考え出した26歳の頃。
結婚もして、会社員をしながらヨガのインストラクターをしたり、起業している方との繋がりを増やしたりしていました。
そんな安定した生活の中で味わえる楽しさを満喫していた28歳の時、待望の妊娠がわかりました。
子どもがいる生活に憧れていたけれど、なかなか授からなかったので本当に嬉しかったです。
でも、
「胎嚢が見えないから…来週また来てみて」と産婦人科で言われたのが妊娠6週目に入ったときでした。
不安で不安で、心臓の鼓動が止まらなくて。帰り道にネットで色々調べると目に飛び込んできたのが「子宮外妊娠」という言葉でした。
もし、子宮外妊娠だったら、この子は生まれてくることはできない。でも、まだわからないし!という一縷の期待が交互に押し寄せてきて、ご飯が喉を通らない数日を過ごしていました。
そして、5日過ぎた頃に産婦人科で言われたのが
「紹介状を書くから、今からすぐにここの病院に行って」ということでした。
そこから頭が真っ白になり、どうやってタクシーに乗ったのかも覚えていないまま指定の病院へ到着。
「絶対大丈夫!」と自分に言い聞かせたかったこともあり、この日は午前休をとって受診していました。
だから、緊急手術となり上司にも電話しなくちゃならなくて。涙を押し殺しながら平然を装う自分が悲しくて、電話を切った後に病院の片隅でひっそり泣いていました。
そんなことが頭から離れず、夜になると涙が溢れて止まらない数ヶ月を過ごしていました。
そして、身体も順調に回復してきて、再び妊娠が分かったのはちょうど1年ぐらい経った頃でした。
でも、前回の経験もあったので、胎嚢が確認できるまでは不安な気持ちの方が大きくて。
6週目で胎嚢が確認できた時は、夫婦で大喜び!
なんだけれど・・・
その1週間後の検診で心拍が確認できず、稽留流産ということがわかりました。
やり場のない感情が溢れ出て、やっぱり「生きる」ってそれだけで奇跡なんだな…
私は生きてこられたんだから、自分を活かして生きていかないとな…
そんなことをずっと考えていたのです。
●現実は自分が創っている
そんなことを考えていた時の出会いが、私の人生を変えます。
5人の子育てをしながらハツラツと活躍していて、単身海外に勉強にまで行ってしまうパワフルな女性。
彼女は2人目を妊娠中にご主人をガンで亡くされていて、その後再婚。
今のご主人との間にも子どもに恵まれ、5人のママとなった方です。
そんな彼女が、どうやって辛い過去を乗り越えて、こんなにパワフルに活躍されているのか興味津々になった私は、ゆっくり話す時間をもらって、考え方や学んでいることを詳しく教えてもらいました。
このときに出会った学びが、私が3社目に働く場所となったのです。
そこは、より良く生きるための知恵に溢れていました。
「大人の寺子屋」のような、この場所で人間心理を学び、自分で実験しながら過ごしていた時に、再び妊娠がわかりました。
その時の私には不安は一切なくて、喜びに溢れたまま無事に元気な息子を出産したのです。
現実は自分が創っている。私は、そう思いました。
●子どもを預けてまでやりたいことって何?
息子がうまれてからは、もぉ〜可愛くて幸せで!!
だからこそ、こんなに可愛い子どもを預けてまで働く意味は?と自分にずっと問いかけていました。
当時勤めていた会社も大好き。
でも、私じゃなくてもできるし「もっとダイレクトに貢献したい!」と思っていたのも事実。
「大人の寺子屋」での学びを通して、考え方、捉え方が変わると世界が変わるということを実感していた私は、ここで働きたいなと思うようになりました。
そして、色んなタイミングが重なり、この会社で働くことを決めたのです。
大学を卒業してから「これを仕事にしたい!」という情熱が持てずにいた私が初めてたどり着いた場所。
毎日が希望に溢れていました!
でも、次なる葛藤が訪れるのです・・・・
次回へつづきます^^
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