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【母子癒着①】近すぎる心の距離

こんにちは。

今日は、前回の投稿で触れた『母子癒着』について書こうと思います。

『癒着』という言葉を辞書で調べると

離れているはずの事物の密接な結びつきを意味する言葉のことである。

と書かれていました。

簡単に言うと『ベッタリくっついている』ということなのですが

心理学で言う癒着は

自分と相手の境界が分からなくなって、相手の感情を自分の感情のように感じてしまうぐらいに心の距離が近すぎる状態のこと

を言うそうです。

この言葉を聞いたとき、あぁ自分には関係ないなぁ~と思いました。

母とは、身も心も距離を取っていると自分では思っていたからです。

でも、学んでいくうちに
「まさに自分のことだ…」と衝撃を受け
その後いろいろなことが繋がっていきました。

今回は2回に分けて、そのシェアをしたいと思います。

母子癒着とは

文字どおり『母と子の癒着状態』のことなのですが、母親は自分の身体から生まれた我が子を、まるで自分の分身のように思ってしまう傾向があります。

子が悲しいと母も悲しい。

子が嬉しいと母も嬉しい。

逆もあります。

私も経験があるのですが、子どもの所属するチームが試合に出たとき、私は見ていただけなのに緊張しまくり。

負けたときには、一緒に出場していたのかと思うぐらい、悔しく悲しい気持ちになり、優勝したときは、飛びはねて大喜びしました。

ほかの保護者もそうだったと思います。

普段会うこともないのに保護者だけの集合写真を撮ったぐらいですから(笑)

それぐらい、母と子は心の距離が近いんだと思います。

でもその距離が近ければ近いほど、分身のように思う気持ちが強ければ強いほど、子どもを自分の思いどおりに動かそうとし、それが叶わないと必要以上に怒ってしまったりするというわけです。

心にいつも母がいる

「あなたのためを思って言ってるのよ」
「お母さんの言うことを聞いていればいいの」

一見、子どもを心配していて言っている言葉のようですが、子どもをコントロールしたいという思いがあります。

コントロールの裏には"心配"や"不安"が強くあり、子どもはいつも母のコントロール下で言うことを聞いていると、

自分自身がどう思ってるのか?

自分はどうしたいのか?

がよく分からなくなっていき、次第に親の顔色をうかがい、親の気に入る選択をするようになってしまうのです。

そして、この『支配』は大人になり、母と物理的に距離が離れていたとしても続きます。

たとえば、欲しいものを買おうとするとき

「お母さんはいらないって言うだろうな~」

と無意識に思ってしまっていて、本当は欲しいのに買わない選択をしたり。

母だったらOKしてくれそうと思う相手と結婚したり。

人間関係においても、幼少期の母との癒着の度合いが土台となり、母との心の距離感を他人で再現してしまうようです。

また、母が肉体的・精神的に弱いなどの場合、

「お母さんを1人にしておけない」

「お母さんを見捨てたら可哀想」

「自分だけ幸せになんてなれない」

と思うがあまり、いつまでも幸せになる選択ができずに、母を背負って生きてしまうパターンもあります。


母子癒着から抜け出す

母との心の距離が近すぎる、そんな母子癒着から抜け出すために大事なことは、母と自分の人生を一緒にしてしまわないことです。

自分の人生を生きることが、母を見捨ててるわけでも何でもなくて、母の人生まで自分が背負う必要はないということです。

自分の人生は自分のもの。

自分のために生きていい。

自分を大切にしてくださいね。

ちなみに私の母は過干渉気味です。

でも、私はそれを必要以上に避けてきました。

だから、母子癒着はないと思っていたのですが、そこにも隠れていた母子癒着。

次回はそちらのパターンを書いていきたいと思います。

読んでいただき、ありがとうございました。


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