来世は猫になりたい
あけましておめでとうございます。
といいつつもう1月に入って3週目とは。
昨年9月より休職していた関係で今年は実家に帰らず
家での年越しとなった。
夫も私も毎年実家での年越しをしているので、
今年始めて夫婦水入らずで年末年始を迎えた。
おせちも二人で作り、3日目に行った近所の小さな神社で引いたおみくじも大吉(書いてある内容がまさに今の私に向けられたもののようでびっくり。精神安定第一だと。)それなりに良い2025年のスタートを切れたのではないだろうか。
さて、1月末まで休職の私はまだまだ不安定な体と戦っている。
(年が明けたら治っているかな、な〜んて奇跡的なことはないとはさすがに思っていたけれど。)
計5ヶ月ほどお休みをいただいているわけだが、
未だ午前中〜昼間は体が動かずベッドの上で寝るか外を眺め、
夕方頃から徐々に元気が出て家事をこなしてなぜか夜中に情緒不安定になり泣きながら睡眠薬と向精神薬を流し込み眠るというルーティーン(笑)をこなしている。もちろん、日によるし、夫がいるときは落ち着いていることが多いのだが。
夫が最近は忙しいので仕事で朝から夜中まで家にいないことが多く、土日も同じように過ごしていて、一週間外に出ないなんてザラである。
で、体が動かない時間帯は何をしているかというと、窓際に折りたたんだ布団を持ってきて猫のように網戸越しに外を眺めるのである。
我が家の寝室は畳ベットになっていて、その上に折り畳めるマットレス布団を敷いているので、折りたたんで掛け布団と枕を腰掛けにするとちょうどいいミニソファのようになる。起きてから目が開かないままのろのろとこのセットをつくりドスンと丸まって寝転がるので、夫からは巣作りと呼ばれている。
これがなんとも居心地が良い。
日が入る時間帯はとても温かいし、時折ふわっと風が私の頬をなでるようにはいってくる。外は車通りの少ない車道になっているのとお年寄りの多く住む通りなので騒音もほとんどなく、ゆったりとした時間が流れている。
この時間は、「私は猫だ」と言わんばかりに目に見えるもの、耳で聞こえるもののことしか考えないように意識する。
「遠くでカラスが鳴いているな。」「今日は雲の流れが早いな」とか
「昨日は電線が揺れていたけど今日は無風だから空に線が描かれているように動かないな。電線の波型がきれいだ」とか
「電線に止まっている鳥と目があった。暇そうだと思われているのだろうか」とか。
不安障害という、どうしても頭の中の不安が膨らんで自分を苦しめる障害を患っているので、以前は休もうと思えば思うほど罪悪感で脳が休まらなかった。
かといってなにかをする体力がある日はほとんどない。
「無理せず今は休んで」といろんなひとにいわれたが、他人はその言葉に責任を持ってはくれない。甘えてはだめだと脳が私を責め立てるので、なかなか思い切って休むことができなかった。何もできないのに脳はなにかしようとしている、なんと無駄なことであろうか。
そんなとき、夫に「今正常な判断をできないうちにいろんなことを考えたって意味ないよ。少し落ち着いたときに周りの年上の人に相談して準備したほうがよっぽどいい。」と言われたときに、妙に納得したのを覚えている。
たしかに、やらなきゃいけないことを調べなきゃ、少しでも進めなきゃ、と何度もPCを開いたりもしたが、結局頭に何も入らず一ミリも進まなかったことを思えば、今休めるうちに休んだほうがいいじゃないかと猫になることに決めたのだ。
そんなこと言って、近所の猫たちにお前より暇ちゃうわい!猫なめんにゃ!と言われそうだ。
ああ、来世は猫になりたい。
と願いつつ、私は今日も家から空を眺めるのである。
といってもやはり完治には長い長い道のりがまっているだろうから、
時折猫になりながら自分の障害と向き合っていこうと思う。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。