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お金のブロックを外す②



前回の投稿はこちら。

看護師からフリーランスになり3年。
この夏から皿洗いのバイトに出かけ始め、久しぶりの三次元社会を経験中。

資本主義ゴリゴリの土の時代から、緩やかに(体感ではすぐそこまできてる)風の時代に移行している氣付き。

過去の自分が持っていたお金のブロックを外した今、息苦しさから抜けるための勇気を徒然と書いています。


確かに、子供の習い事や進学には斜め上の金額がかかります。

この春から私も初めての経験を(洗礼を)受け、思わずたじろぎ余裕を無くしました。

親だから…望むことをさせてやりたい!

実際そう思うのが親心ですが、子供にとって親の経済力で経験できないことがあったという経験は可哀想なことですか?

可哀想という価値観はどこから?いつから我々に植えついたものですか?

少し前に流行った親ガチャというワード。

今日我々の価値観では、子供は希望通りの選択をできる事が望ましく、自分の周りと同調できる事がステータスになっています。

スポーツでも進学でも、たまたまの巡り合わせで仲良しが通い出し、私も行きたいとなった時、親の経済力で願いが叶わないなら、それは親ガチャという負のレッテルを貼られてしまいます。

親としたらむしろこれって…友ガチャじゃないの?笑笑

もしもその子が本当にそれを経験したくて、自分のミッションとして生まれてきたのなら、公園で遊びでやっていた事や、学校の休み時間にみんなとやっていた事が伏線になっているんです。

最初から型通りに始めなかったとしてもいつか本筋に合流するのでしょう。

心配ご無用なのです。

今、この時代の変換期において過去の価値観を書き換えられないのなら、本当に生きづらい事になると思っています。

これまでよりもシビアになる日本の(世界の)経済の中、家と車と子供の教育と国への税金を払うために働く事は、それこそキャパオーバー💦

数年から数十年後、必ず良い未来が来るのだと信じていますが、それまでに忍耐の過渡期があるのでしょう。

でもこの忍耐って…文字にすると苦しいですが、

私たちが作り出している現実

ってだけなのです。

自分が必要と思っているお金(生き金)は回ってきます。なぜなら生き金は良いエネルギーを生み出し循環するからです。

反対に嫌々苦しく出しているお金(死に金)は、潜在意識的に「必要のないお金」と思っているので循環しないのです。

周りがそうしているから!

ではなくて、

私はこれを選択する!

にシフトチェンジする事で、低燃費にとても心地よく安心して暮らせます。

              ③へつづく


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