「フィクション×対話×落語」
先日、デジタルファシリテーターというジャンルを提示されている田原真人さん主宰の読書会に参加した。課題書籍を事前に読みオンライン上での対話をする「フィクション×対話」と呼ばれる新しい試みであった。参加してみて様々な可能性を感じた。詳細は下記リンクをお読みいただきたい。
この場では参加してみて僕が感じたことを書いてみたい。
今回の「フィクション×対話」は落語によく似ていると感じた。僕は趣味で落語会を仲間を募って主宰しており、かつ演者でもある。
噺を演じるときには登場人物の”気”になることが大事と言われている。聴き手の頭の中に物語を描いてもらうためであると僕は認識している。
登場人物の”気”になるためには登場人物の”気を”推し量らなければならない。そのために、自分なりの解釈した登場人物のキャラを設定している。
以前、「死神」を演じたときのキャラを設定をnoteに書いた。設定については下記リンクをお読みいただきたい。
落語を通して、僕の中にあるものは他者の中にもあるものだということを認識することができた。またそれが笑いをつくるものでもあるとも考えている。悲劇と喜劇は紙一重と聞くが言い得て妙である。
落語は、誰も傷つくことがない。なぜならフィクションだからである。また笑いの要素が強いからであると僕は思う。しかし、落語には隠れたお題があり、考えさせられしまうことがあるのだ。物語という他人事であるが、いつの間にか自分事として考えてしまう。実は落語はそのようにできているのではないかと、僕は思っている。いや、思わされずにはいられないのである。この考察は別の機会に譲りたいと思う。
田原さんの取り組みに参加させてもらい、落語ネタでも同じことができるのではないかと思った。どこかで企画してみたい。
田原さん主宰の3回通した読書会だが、2回終了している。あと1回が10/27(水)に開催される。ご興味があれば下記リンクから申込みされたし。
「誰も傷つくことがない」が担保された対話を楽しみにしている。