現実との付き合い方
第一章 「昆虫にも生きる権利を」
人類は食糧難に陥ったら、仕方無いから昆虫でも食べるかと「昆虫食」を考え始める。
だが食糧格差の故に貧乏人は昆虫でも食ってろと昆虫食を強要するのはいかがな物か。
昆虫は農作物を食い荒らす「害虫」だから農薬と称される殺虫剤をばら撒いて皆殺しにしちゃいましょうよ。
虫も殺さぬいい男とは穏やかな性質の例えで、「不殺生戒」を遵守している人を指す訳ではない。
農作物を害虫被害から守るには農薬を空中散布して虫を大量死させるしかない。
そのせいで益虫のはずのミツバチまで大量死したりする。農家は虫を殺して利益を手に入れるのである。
人間はそもそも「鬼」であるから殺生を好む傾向がある。人類史とは侵略と殺戮の歴史と言えなくも無い。だから不殺生戒は守れるはずもない。
有機リン系農薬は昆虫の神経伝達物質アセチルコリンが分解されず蓄積され中毒症状を呈し死に至る。虫なんか死んでも構わんよ。人間は発達障害になる程度で済むんだし。
ニコチノイド(nicotinoid)はタバコの葉に含まれるアルカロイドで、現在は化学合成でネオニコチノイドとして殺虫剤に使われ生態系に甚大な悪影響を与えている。
農地の単位面積当たりの農薬使用率は一位韓国二位日本でこの二国が突出して世界に冠たる農薬漬け国家に認定されている。そりゃ滅びるわ。
昆虫の神経にだけ作用するので、人間の子供の脳神経には何ら問題ありません。そう言ってメーカーは大儲けして来た。うちの子が頭悪いのはそのせいかしら。
ある特定の民族や国家が突出して使用する農薬で滅亡することは有り得る。
日本人はお馬鹿だからまあいいのか。
第二章 「現実とは何か」
人間はこれまで「現実を直視せよ」と教えられて来た。其処で言う現実とは、「厳しい」とか「過酷」と言った意味合いが含まれています。つまり生存競争の厳しさイコール「現実の厳しさ」と認識して来たのです。だから獅子は我が子を谷底に突き落とし這い上がってきた者だけを我が子と認めると言ったストーリーがまことしやかに語られて来た。
こうなると我が子を厳しく躾(しつ)ける親が横行して、子供としては親に虐待されイジメられている気分になる。
厳しく過酷な現実世界で生き抜くには、その逞(たくま)しさや高いサバイバル能力が求めらるのです。親バカで我が子を甘やかして躾を怠り放任主義に育てたらろくな人間にはなりません。
飛び交うミサイルや銃弾を巧みに掻い潜るのが人生と言うものなのです。
平和ボケの日本人は、戦争を知らない甘ったれた子供たちで、白旗の揚げ方も知りません。
第三章 「現実を再定義する」
生存競争や出世競争に参加するのが馬鹿らしいと戦線離脱していく神人類は、これから極楽とんぼよろしく脳天気に生き始めます。
「現実を直視せよ」から「現実を軽視せよ」に替え、ついには「現実は無視してもOK」となっていきます。
そして「現実」に付き纏っていた「厳しい、過酷」と言った意味合いは、「優しく甘っちょろい」に再定義されていきます。
親に厳しく育てられた子供は自分にも厳しく当たるので人生がしんどくなる。自分に優しくなれるには、親に愛情たっぷりに優しく育てられる必要があります。
かくして生存競争もなく、現実は甘く優しいので、人々は自分に優しくなり世の中もギスギスしなくなります。生きてくために昆虫でも何でも食っちまえと言った過酷さは影を潜めます。
人間はこれまで「夢と現実」の二者択一で、必ず「厳しい現実」の方ばかり選んで生きて来ました。この辺でもう厳しい現実はポイ捨てして、「楽しい夢」の方ばかりを選択して生き、「夢の中のパラダイス」に永住権を獲得してもいい時期が来ているのです。
その時「現実とは単に愉しみ喜ぶための現実」に様変わりしています。