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酒蔵を始めます。Vol.1

初めまして、弥栄醸造代表の坂本イッコーです。
私は現在新潟県柏崎の阿部酒造で研修生として酒造りを学ばせてもらっています。そして柏崎市内の古民家をリノベーションして、自分で酒蔵を立ち上げる準備を並行して進めています。(醸造開始は25年春目標)。

蔵にする予定の古民家

そんな自分ではありますが、世の中のほとんどの人が自分の事なんて全く存じ上げないと思うので、自分と自分が始める酒蔵について、少しでも知ってもらう為に色々と書き連ねていこうと思います。

まず第一弾として私の自己紹介的な文章から書いていきます。
ご興味のある方がいらっしゃいましたら読み進めてもらえると幸いです。


私自身について

自分の本名は坂本一浩(かずひろ)といいます。イッコーは大学時代からのあだ名ですが、下の名前を音読みにしたらそう呼べる事に気付き、気がついたら周りからもそう呼ばれるようになってました。覚えてもらいやすいので個人的には気に入っています。

出身は神奈川県横浜市、年齢は34歳です。育ちは横浜ですが、両親の出身は父が茨城県、母が岩手県なので生粋の浜っこかと言われると多分そうではないです、浜っこの定義があるかは知りませんが(笑)

横浜らしい風景。

新卒で灘の大手蔵に入社

東京の大学を出て最初に就職したのは神戸は灘の大手蔵、菊正宗酒造というところでした。元々は公務員志望で大学卒業後も秋まで試験受けていたのですが結局試験は全滅。11月位からあらためて就活を始め、何とか年内に内定をもらいました。4月入社だと考えていたら、当時の人事課長から「大学卒業してるから1月から来れるやろ」と言われ二つ返事で「はい!」と答えたのは今でもよく覚えています。

そうして入社した菊正宗酒造では東京支店の営業担当として4年間勤務し、酒販店さんからスーパー、ドラッグストア、百貨店など色々なチャネルのお客様を担当させてもらいました。特別仕事ができた訳ではありませんが、酒屋の社長さんやスーパーのバイヤーさんと飲みに行くとその場でとても気に入ってもらいその後可愛がってもらえたので、飲みの席での人受けは良かったのだと思います(笑)。

酒蔵に就職したのは大学時代からお酒が好きだったから、くらいで入社当初は日本酒に対してそこまで強い思い入れは正直ありませんでした。ですが入社後に勉強と称して全国の酒蔵の日本酒を飲んでいく中で、日本酒の美味しさ・奥深さにどんどんハマっていきました。いわゆる日本酒沼というやつでしょうか。

当時飲んだ日本酒。

酒蔵から酒屋への転職

そうして全国の日本酒を飲みその魅力を知っていく中で、自社のお酒しか販売する事ができない今の仕事に対し葛藤が生まれ、全国の美味しい日本酒を取り扱う仕事をしたいと思うようになりました。そうして自分がやりたい事ができる仕事は何か考えた時に、酒屋か飲食店のどちらかを選択肢として定め転職先を探すようになりました。

そんな中で出会ったのが当時社員が2名の日本酒ベンチャー、現在の株式会社未来酒店でした。社長さんとお会いさせてもらい、ちょうど実店舗を立ち上げるタイミングという事をお聞きし、お店の立ち上げからやらせてもらえる機会はそうないと考え酒蔵から酒屋へと転職をしました。

未来酒店では1号店の代官山店で副店長、2号店の吉祥寺店・3号店の横浜店では店長として、お店の運営からお酒の仕入れまで、酒屋としての業務全てを経験させてもらえました。未来酒店では本当に濃厚な日々を過ごさせてもらい、思い出を書き始めるとかなり長くなってしまうので今回はこの辺にしておきます。余裕があれば番外編として未来酒店時代で記事を1つ書こうかなと考えています。

思い出深い、未来日本酒店KICHIJOJI。現在は閉店。

日本酒業界での自分の将来に悩む

こうして酒屋の店長として充実した日々を送ってはいたのですが、将来的に自分は何がしたいのか自問自答するようにもなっていました。これまで新卒から長く日本酒業界でやってきて、このまま日本酒業界で働き続けたいという思いはありました。その一方、多くの日本酒を飲む中で日本酒が美味しい事が自分の中で当たり前になってしまい、心の底から日本酒で感動する事ができなくなっていたようにも思います。

そうなると「自分が本当に感動できるお酒は自分で作るしかないのではないか?」と思うようになり、酒造りの道へ気持ちは向いていきました。しかしながら日本酒の新規免許の取得は実質不可能、酒蔵に転職しても自分のお酒が作れるようなるまで一体何年かかるのかと、現実的な問題から先行きの見えない日々が続いていました。

あるお酒との出会いから阿部酒造へ

自分の将来がなかなか定まらない中、2020年の冬に取引先であった阿部酒造からホボホボゼンコウジキモトというお酒が届きました。聞くところによると麹歩合は94%(通常の日本酒は大体20〜30%)。味は麹歩合の高さからくる重厚感があり、甘み・酸味のバランスが良く、阿部酒造らしい後口のキレイさもしっかりある。味はもちろん美味しかったのですが、ここである事に気付きました。

麹歩合94%でこんなに美味しく作れるなら、麹歩合100%でも美味しいお酒は作れるのではないか?と。

更には日本酒の原材料は基本的に米・米麹なので、原材料が米麹のみのお酒であれば日本酒でなくその他の醸造酒として製造・販売ができるのではないかとも。そうなれば自分で蔵を立ち上げて自分でお酒の製造ができる!と一筋の光明が見えてきました。そこからはすぐ阿部酒造の6代目、製造責任者の阿部裕太さんに連絡をさせてもらい、2021年秋から研修生として阿部酒造で酒造りをさせてもらう事となりました。

このお酒があるから今の自分がある。

次回へ続く

そうして2021年9月より今に至るまで3年間、阿部酒造で日本酒造りを学ばせてもらっています。そして現在は阿部酒造での業務と並行して、柏崎山奥の古民家をリノベーションし醸造所立ち上げに向けて日々準備を進めています。

長くなってきたので、なぜ自分が柏崎で蔵を立ち上げる事に決めたのか、どんな蔵にしていきたいかなど、弥栄醸造の成り立ちについては次の記事でまとめていきたいと思います。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。また次回の投稿を楽しみにお待ちください!

弥栄醸造 代表
坂本 一浩

酒蔵を立ち上げる地域の農家さんと、一番左が自分です。


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