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「東西美人画の名作」《序の舞》への系譜

こんにちは!

いっきです。

今年観に行った展示の記事をゆるゆると記事にしていこうと書き出しました!遅くなってしまった…!本当は、みんなが展覧会に足を運べる会期中に書きたかったのですが、どうにも書けず、今になってしまいました。ぐぬぬ。でも書く!!!


今回の展示の目玉は上村松園の「序の舞」です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%91%E6%9D%BE%E5%9C%92#/media/File:Jo-no-mai_by_Uemura_Shoen.jpg

「序の舞」は、美人画の頂点と言われている作品で、今回の展示では、美人画の起こりから「序の舞」までの流れを知ることができました!


美人画のはじまりは、近世初期(安土桃山時代あたり?)までさかのぼります。

はじまりは、「遊楽図」などで描かれる男女混交の群像描写。(「遊楽図」は国宝「花下遊楽図屏風」を参考にするといいかもしれません)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E9%87%8E%E9%95%B7%E4%BF%A1#/media/File:Aronia_Blossoms_Screen_2.jpg


そこから、女性ひとりを描く「舞踊図」に人物をクローズアップ。

さらに発展して、ひとりの女性の立ち姿を描く「美人画」が成立しました。


この「美人画」は、時に湯女や遊女が扇屋花を持って無背景の画面に浮かび上がるスタイルで描かれます。これは、畳の上に座った高貴な女性を描く肖像画とは、区別されたものなんですって!


時代が移って近世中期に「見返り美人図」などで有名な菱川師宣などの浮世絵師が登場し、「浮世絵美人画」というジャンルを確立しました!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%B1%E5%B7%9D%E5%B8%AB%E5%AE%A3#/media/File:Beauty_looking_back.jpg

浮世絵が発展していく一方、掛け軸など、絵師が直接描いた肉筆画も好まれました。これが、上村松園さんの時代の近代の美人画へと受け継がれて行ったんですね!




…ちょっとうんちくくさかったですかね??

今まで私は、「この画好き!美人画っていうのか!!」みたいな感じで、それぞれの作者や作品やジャンルを、独立したかたちで見てしまうことが多くて、どういう経緯でそのジャンルが起こったのかを全く知らずに見ていました。


それも楽しかったのですが、こんなふうに、過去の作品との関連とか歴史を知れると、より作品を見る時の解釈が深まるというか、今までと違う角度からも作品を楽しむことができるんじゃないかなと思って、せっかくなので書いてみました!



さて、そこから展示は、東西に分けて美人画を紹介してくれました!

東と西で、何を大切にして画を描いているのかが違って面白かったです!!

東の代表的な画家は、鏑木清方(かぶらぎ きよかた)。有名なんだと思うのですが、今回始めて作品を見て、「めちゃめちゃ素敵に女性を描く人だ!」という印象を受けました!なんというか、みんなの「いてほしい!ていうか、いる!と信じたい!」と思わせるような、理想の女性を描いているように感じました。まじで美しかった…(語彙力)


音声ガイドでは、鏑木清方の「にごりえ」の連作に合わせた音楽のトラックがあって、BGMを聞きながらの鑑賞できました!贅沢体験!


上村松園は京都の人!

東の清方、西の松園、と言われていたそうです。

「序の舞」は、2015年から修理期間に入っていて、私が上村松園さんを知ったときには、修理の真っ只中。それが修理後、初お目見え!!!というのがこの「東西美人画の名作《序の舞》への系譜」でした。


初めて間近で見る「序の舞」は、想像していたよりも大きくて、着物の赤ばかり見ていたのですが、実際に見てみると、裾の虹色のような雲が本当に美しくて、きらきらしているように見えました。


力がこもってほんのり赤くなる親指やキリリとした表情。実際に見ることができて、本当によかったです。


修復に当たって、今まで掛け軸だったのを保存のために額に直したそうです。その枠の色も、どの色が作品にあうのか、幅は広いほうがいいのか、狭いほうがいいのか、修復の方々の奮闘がわかる映像も、会場では流していました。


いまいち看板と上手に写真に収まれない…。うまく看板と映るのは、今後の課題です。

この記事を読んでくださり、ありがとうございます!サポートは、これからの勉強代にさせていただいています。