知らなきゃハドソン~札幌に一大ゲームメーカーがあった時代~(11)世界初!家庭用ゲーム機でCD-ROMを採用
※2020年1月22日に書いた記事を
加筆修正したものです。
‘88年12月には PCエンジンの
周辺機器として、
CD-ROM²が発売されます。
(「CDロムロム」と読む)
PCエンジン本体と同様に
開発にはハドソンが関わっており、
家庭用ゲーム機のソフトとして
CD-ROM が使用されたのは、
世界ではじめてのことでした。
そもそも、ハドソンから NEC に
ゲーム機開発の話が持ち込まれる前に、
NEC で検討されていたのは、
CD-ROM を使ったゲーム機の構想でした。
しかし、当時の NEC には
コストを下げるための
技術力が足りなかったため、
(特にゲーム機本体の CPU に関して)
現実的な価格設定で製品化するのが
難しかったようです。
そこでハドソンが開発した
チップが役立ちました。
当時はパソコン用の CD-ROM ドライブの
価格は20万円台でしたが、
CD-ROM² は5万7800円にまで
抑えることができたのです。
(それでも充分に高価だが)
本体と同時に発売されたソフトは、
『ファイティング・ストリート』
『No・Ri・Ko』の2本です。
『ファイティング・ストリート』は、
アーケード版・
初代『ストリートファイター』の
移植作品でした。
小川範子自体はそれほど知名度のある
タレントではありませんでしたが、
「プレイヤーの名前を呼んでくれる」
「バーチャルデートが楽しめる」といった、
後の『ときメモ』を先取りするような
内容が目玉でした。
ちなみにこの2作品は、
発売元はハドソンですが、
開発は熊本に本社がある
アルファ・システムが手掛けたものです。
(当時、アルファ・システムは
札幌にも開発室を設けていた)
アルファ・システムが
ハドソンに関わったのは、
これがはじめてのことでしたが、
その後も、ハドソンのソフトを
影で支える縁の下の力持ちとして
活躍することになります。