「さん」を付けるか付けないか
※2500字以上の記事です。
お時間のある時に
お付き合いいただけると嬉しいです。
昨日の記事では、
『ファミ通』で連載されていた
お二人のコラムに
影響を受けた話を書きました。
桜井政博さんの方は、
おもに文体、
(桜井さんの
親しみが感じられる、
柔らかい文体は
重要なお手本だった)
あるいは、なんらかの
制作物を作る際に、
ベースとなる考え方に
影響を受けました。
ブルボン小林氏の方は、
おもに「物事の着眼点」
ですかね。
ゲームでもマンガでも、
まっすぐ見ていない
というか、
斜めから見る印象があって、
そういったところが、
とてもおもしろいんですよね。
文体に関しては、
プロの作家さんなので、
簡単にマネできるほどの
文ではないですね。
ブルボン氏にしか
書けない文章のリズムだったり、
独特な言い回しも
大きな魅力になっています。
そんな中でも、
私がブルボン氏の文章で
参考にしたのは、
自分の文章に有名人を
登場させる時の
書き分けですね。
ブルボン氏は、
テレビ番組を題材にした
エッセイで人気だった
ナンシー関氏の影響もあってか、
自身のコラムに
芸能人が出てくる割合も
結構ありました。
ナンシー関風に書くならば、
どんな芸能人であっても、
呼び捨てが普通です。
むしろ、呼び捨ての
気安い感じがなければ、
彼女が書くような
おもしろいエッセイに
ならないでしょう。
この辺りのことは、
ブルボン氏も当然のことながら、
気づいていたことでしょう。
自身のコラムでも、
実写映画化された
『デトロイト・メタル・シティ』の
ことを触れるにあたり、
クラウザー様を演じた
「松山ケンイチ」の呼び方で、
その「逡巡」を
かっこ付きの言葉で、
表わしています。
(逡巡:しゅんじゅん。
決心がつかず、
ためらうこと)
「松山くん」
「松ケン」
いずれの書き方でも、
著者の中では、
しっくりこず、
最終的にどうなったかは、
忘れましたが。
そのコラムでは、
本題から離れた
ちょっとしたギャグでしたが、
その「照れ」を伴った
書きっぷりが
とても印象に残っています。
また、ブルボン氏のコラムでは、
ゲームに関するコラムでも、
「ゲーム番組」を扱った記事も
あったんですよね。
その中では、
大竹まこと、今田耕司、東野幸治
Mr.マリックといった人たちが
文中に出てきました。
(いずれもゲーム番組を
やっていたことがあるタレント。
※Mr.マリックは
ゲーム番組ではないが、
任天堂一社提供の番組)
もちろん、ここでは、
ナンシー関氏と同様に、
ブルボン氏は、
これらのタレントを
呼び捨てで書いています。
(Mr.マリックだけは、
「Mr.」がすでに敬称だが)
しかし、
『ゲームセンターCX』に
出演するよゐこの有野晋哉だけは、
呼び捨てではなく、
「有野さん」
と丁寧に書いています。
その時に気づいたのは、
著者は、よゐこ・有野と
面識があるのだ、
ということです。
決して、大竹まこと、
今田・東野、
Mr.マリックのことを
見下していて、
よゐこ・有野だけを
リスペクトしている
わけではないんですよね。
むしろ、大竹、今田・東野、
Mr.マリックは、
会ったこともないから
「テレビの中の人」で、
よゐこ・有野だけは、
面識のある
知り合いということでしょう。
実際、思った通り、
後に私が購入した
別の雑誌で連載していた
ブルボン氏のコラムの
単行本の後書きか帯で、
よゐこ・有野がコメントを
書いているものがありました。
私も自分のノートに
好き勝手に書いていた頃は、
迷わず芸能人は
「呼び捨て」でした。
例えば、「所さん」とか、
もはや「さん」付きで
呼称になっているような方は、
「さん」付けでしたが、
それ以外のほとんどの
有名人のことは
呼び捨てで書いていました。
そのことを
少し考えるようになったのは、
多くの人の目に触れる
可能性がある
ネットに投稿するように
なってからのことです。
私がブログをはじめたのは、
今から8年ほど前、
2015年の秋でした。
その時に思い出したのが、
やはり、ブルボン氏のコラムでした。
私はブルボン氏にならって、
基本的には「敬称なし」で
書くことにしています。
(明石家さんま、ビートたけしは
呼び捨てにできるのに対し、
タモリは「タモさん」、
笑福亭鶴瓶は「鶴瓶師匠」
と、一部、例外がある)
ただ、これに適応されるのは
芸能人とか、
特別に有名な作家までですね。
(村上春樹や東野圭吾に
「さん」付けで書くほどの
親近感はない。
また、宮部みゆきは
特に好きな作家の一人だが、
通常は「さん」も「氏」も
付けない)
私は作家ではない方が
書いた本を読んで、
レビューを書く場合も多いので、
そういう場合は、
「氏」をつけるように
しています。
なんせ、そういう著者は、
テレビタレントのように、
名前や顔を公にさらすのが、
本職ではないですからね。
なんだったら、
私と変わらない会社員
という場合もあります。
それと、私の場合は、
ゲームクリエイターについて、
書く場合も多いですが、
多くのゲームクリエイターは、
「芸能人」ではなく、
「一般人」です。
基本的には「氏」を
付けるようにしていて、
昔からよく知っていて、
個人的に親しみを持っている方は、
「さん」付けにしています。
(「知っていて」といっても、
こっちが一方的に
知っているだけだが)
note にやってきて、
記事を書くようになり、
周りを見渡してみると、
note の方は丁寧な方が
多い印象で、
「さん」付けの記事を
よく見かけますね。
いや、あれはあれで、
すごくいいと思います。
実際、芸能人でも
よくエゴサーチするような方は
「さん」付けで検索することが
多いようですから、
好意的な記事であれば、
本人が読んでくれて、
喜んでくれるかもしれません。
しかし、私はこれからも
自分のスタイルを
通していくつもりです。
なんでもかんでも
「さん」付けにしてしまうと、
線引きが難しくなりますし、
ファンレターように
なってしまうんですね。
いや、私も
ファンレターのようなつもりで
書いた記事は
「さん」付けにしています。
先日の高橋幸宏さんに
ついて書いた記事もそうです。
しかし、そうでない場合は、
私はファンレターのつもりで
書いてはいません。
あくまでも「作品」を
「批評」するのが、
本筋ですから、
作者や出演者とは、
一定の距離感が欲しいんですね。
それが私が
芸能人を呼び捨てで書く理由です。
決して、
リスペクトしていない
わけはないのです。
(それでも、例えば、細野晴臣を
「細野」と書くのには抵抗があるし、
レビュー系の記事でも「細野さん」
と書いていたかも。
そして、高橋幸宏も故人となってしまい、
「幸宏」と書くのに
抵抗が出るようになってきた。
こちらも、やはり例外がある。)
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どうこう言うつもりもありません。
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