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「人から注目されたくない」思考を変えるための根拠【認知行動療法】

「人から注目されたくない」ばかりに、普段は、地味な格好とすっぴんで気配を消してる私。他人から相手にされないことで、安堵を覚えている。でもそれってどうなんだろう。現実はホントにそう?

ここでは、「誰からも嫌われたくない」の時と同じ論法で、認知型コーピングで使っている言葉を強化するために、「人から注目されてもいい」根拠を自分が納得いくまで、あげつらっていきます。(認知行動療法的なアプローチでの解釈をしていきます)
きつい言葉も出てくると思うので、劣等感の制御ができていなかったり、責められてるように感じる人は「読まない」ことをオススメします。

①強すぎるから私を縛る

「人から注目されたくない」思考は適正に使われていれば、相手を立てる事ができるようになる、人付き合いの役に立つ思考だが、強すぎると、自分を必要以上に抑えて自己肯定感を減らす結果になってしまう。つまりそんな状態になってまで、遵守すべき思考じゃないという事です。

②誰からの注目を回避するのは不可能

自分と相手の二人居れば、注目はまぬがれない。宇宙空間で一人でいるしかなく、現実的には無理です。不可能なものに思い悩んでも時間の無駄です。自分以外の他人が存在する世界において、大なり小なり注目されるのは必然なのです。

③木を隠すなら森の中。だけど、移動中は隠れてる時もあれば、目立つこともある

周囲を観察する視点が足りてない。例えば駅まででかけるとしよう。自分の生活圏の周りの住宅街の中では地味すっぴんがいても目立たないが、駅まで行けば、そこそこの年齢の女は、おでかけの際、化粧したり一張羅で来ていたり自分を着飾っている。

大半の女の子が着飾っている中で、地味すっぴんが一人。これでは逆に目立ってしまう。また、見た目がどうかは関係なく、ジジババの中に自分一人という状況でも「目立つ」し注目を集めるだろう。

家から駅までの移動中、一貫して「注目されない」状況はありえない。自分が、着慣れた楽な格好をしたいだけなのを、注目されないことの理由にしているだけなのです。

④実際は、他人の目より自分の内側に過度に注目している、自己中心的な思考

他人に対して「私に注目しない」という自分の欲求を満たしてくれる人なのかを常に推し量っているともいえるわけです。つまりは、他者への関心ではなく自己への執着の表れ。他者からどう思われているかを考えてばかりいる事は、自己中心的。

「注目されたくない」は、自分以外の他者は、自分になにかしてくれる人であると言っているようなもの。

「注目されたくない」は、実は「相手を自分の思うようにコントロールしたい」という大きな欲にもつながっています。

⑤そこまで他人は見てない

よく他の記事で書いてあることですが、そこまで人は他人に注目していない。みんな自分のことで忙しいから。これは私自身もそうだし、実際そうだと思う。町中でどんな人とすれ違った人全て覚えてない。そんなもんなのです。

⑥どうでもいい「他者からの視線を気にし続ける事」はすごく疲れる

「注目されることを注目し続けること」は労力に対して、なんの成果もないし、疲れる事は、続けるべきじゃない。「注目された」事がストレスになり、「自分はこんなだから注目されてしまった」と、自信を失う必要の無い場面で、自信を失う事にも繋がってしまう。

最後に…

どの道注目されるなら、自分がなりたいなと思う自分で町を歩く方が気分がいい。どんな自分にもなれるし、なっていいんです。自分がコントロール出来るのは自分だけ。

地味な自分が嫌だとか、なんで化粧の一つも出来ないんだろうとか、好き好んでやってるわけじゃないならなおさらやめるべき。

その辛い気持ちや不安は、「注目されたくない」という気持ちが生んだ嘘。

そう考えれば、化粧の時間もファッションにお金を使うのも苦じゃなくなるだろう。

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