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中学生の頃の自分に言いたかった言葉は、今の自分に向けての言葉だったかもしれない話


中学で人間関係に悩んだり、学校に行けなかったりして一人悩んでいた私。

大きくなって、少しずつ前よりも色々なことが見えてきた今の私には、その時の自分に言いたかった言葉がある。


それは、「世界は広い。だから、大丈夫」という言葉。


あの時は、通っている学校と家の往復が自分の世界のすべてで、そこで上手くいくか行かないかがすべてだった。

そして、そんな一つの世界しか知らなかった私にとって、学校で上手くいかないことイコール、絶望だった。

でも、あの頃より少し大人になって、本当はそんなことはなかったのだと今になって思う。


高校で、初めてオーストラリアに行った時、生まれて初めて世界の広さの片鱗を知った。

見るものすべてが新しく、新鮮だった。

住む場所が違えば、こんなにも違う日常があるのかと、楽しさとともに衝撃すら覚えた。

その時の興奮と喜びは今でも鮮明にはっきりと覚えている。


「授業は黙って聞き、発言するときは手を挙げてから」が当たり前だった当時の私は、授業中も教室のあちらこちらから沢山の意見がごく自然に、活発に交わされる世界があることを知った。

手を挙げるか挙げないか、そんなことは問題ではなかった。

誰もが思ったことを自由に発言し、教室にいるみんながのびのびと授業を受けている世界がそこにはあった。

片言の英語を話す日本人でも、そんな私に興味を持って仲良くなろうと話しかけてくれる異国の友人がいた。


「昼食は食堂で(あるいは教室で)机を並べて食べる」ことが当たり前だった当時の私は、自然が広がる広大な敷地の中、青空の下、思い思いの場所で輪になってワイワイ喋りながら食べる楽しいランチタイムの時間がこの世にはあることを知った。

「こんなチャンスは滅多にない」と幼心に感じ取っていた私は、普段の引っ込み思案な性格はどこへやら、「一生に一度しかない、この経験をめいっぱい味わいたい」と色んな人に積極的に話しかけた。

つたない英語だっただろうが、片言の英語で、なんとか知っている単語を駆使して懸命にコミュニケーションを取ろうとする私を受け入れてくれる人たちがいた。
留学生の私を見かけて、自分から話しかけてくれる人がたくさんいた。
進んで握手をしてくれる人がいた。


ホストファミリーの家では、沢山の家族で囲む食卓の楽しさを知った。

夕食後にはごく自然に洗い物をするホストブラザーとホストファザーがいて、休みの日には進んで家の掃除をするホストファザーがいた。

「母が家事をしてくれること」が当たり前だった当時の私が驚いていると、「こういう人を選ばなきゃダメよ」と笑って言ってくれるホストマザーがいた。


一歩街に出れば、人の目なんか気にせず、思い思いに生きている人々がいた。

世界には、こんな場所があるんだと初めて知った。

こういう広い世界に生きたい、と思った。


高校を卒業し大学に入ると、もっと自由だった。

自分が学びたい授業を自分で選択し、受けることができた。

それまでは、与えられることが前提だった授業が、自分の手で選べるものになった。

全国各地から集まる同級生がいた。

これまでに出会ったことがない、個性豊かな友人たちに出会った。

自分が心から尊敬し、信頼する親友と出会えた。

出会う人すべてが、この世界が広いことを教えてくれた。

私の世界は、少しずつ広がっていった。



ある時、ツイッターでこんな投稿を見かけた。

時間通り、時刻表通り、早くて正確で礼儀正しいことが「当たり前」な日本がある一方、こんなにもおおらかでゆったりとした世界も、この世の中には在るのだ。


自分の当たり前は、世界の当たり前じゃない。

自分がまだまだ知らない新しい世界が、沢山ある。

世界はもっと広くて、誰にとっても沢山の可能性があって、この広い世界の中には必ず自分に合った環境があるのだ。

たとえ一つの環境が合わなかったとしても、

たとえ、その次も、その次も、その次の環境も、合わなかったとしても。

世界は無数にあるのだから。
あきらめなければ、いつか出会えるのだ。

だから、今はしんどくて、自分で自分を責めて苦しくなっていたとしても。

「世界は広い。だから、大丈夫。」

あの頃より少し大人になった私は、いつしかあの頃の自分に、そして、あの頃の自分と同じように悩んでいる中学生に、こう伝えたいと思うようになった。

そういうことを、常々悶々と考えている中で、ふと「あれ、もしかしてこの言葉って、今の自分に必要な言葉でもあるかもしれない」と思った。


私は、大学を卒業して就職した会社で挫折した。

挫折と、そこから立ち上がるという経験は今までに何度もしてきた方だったから、そんな私にとって、挫折自体は初めてのことではなかった。

けれど、そこにたどり着くまでに、またたくさんの紆余曲折があって、私にとっての「大学卒業」と「就職」は、最終的に這ってたどり着いた場所で、ようやく得られたものだったから、この挫折は堪えた。

知識と経験が必要不可欠な専門職でもあるから、なおさら、初っ端から躓いた自分にはもう未来はない、と思っていた。

それでも、そこから少し時間が経って、前より冷静にこれまでの自分を振り返られるようになったり、希望を教えてくれた友人の言葉だったり、いろいろな経験を乗り越えて今を生き抜いている人たちとの出会いだったり、自分の周りにいる人が差し伸べてくれた手によって、まだあきらめなくてもいいのかなと、こんな自分にも希望はあるのかなと、ほんのちょっと前を向けるようになった。

そして、中学生だったあの頃の自分に、そして今同じような思いをしている人に伝えたいと思っていたあの言葉がふと思い浮かんだときに、この言葉はまさに今の自分にとって必要な言葉だと気づいた。

そう思えたとき、時を経てこの言葉はもう一度、私の背中を押してくれた。

あの時の自分にはわからなかったけれど、

そして、時をさかのぼってあの頃の自分に直接言う事は出来ないけれど、

今の自分に、言うことはできるのだ。


正直先は分からないし、これからどんな道を歩んでいけるのか、今の私にはまだわからない。

進みだした先で、また挫折することだってあるだろう。

10年後には、全然違う道に進んでいるかもしれない。

けれど、

「世界は広い。だから、大丈夫」

この言葉を合言葉にして、一歩ずつ自分の歩幅で歩んでいこうと思う。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
さりげなく、自分のホームページをやっております。
日々思ったことや感じたこと、気づいたことなどをつらつら書いていますので、遊びにきていただけたら嬉しいです。


それでは、またお会いする日まで.




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