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小さな湘南回想話(仮題)②加山雄三さんの○○の体操教室

  私が小学5年生の時に両親2人共それぞれに出ていくまでは、一人っ子なのか、色々習い事をしていた。お習字、バレエ(この2つは長く続かなかった)、ヤマハ音楽教室、体操教室。学校かわった後は進学塾、英語塾、ピアノと日曜日は地域のソフトボールに入ってた。習い事で楽しかった思い出は正直ない。だけどひとつだけ懐かしいさがある習い事、
 
それは茅ヶ崎の海の近くにあった体操教室でした。

 ここでの成果があったのか、クラスで私の為にお別れ会を開いてくれた最後に先生が「では、皆さんの前で何かやって下さい!」と突如振られて、「開脚前屈」をやったを覚える。

 南口を降りて海に真っ直ぐに向かう道、母と歩いた記憶。真っ暗だった体操教室の帰り道。その上電車は1時間に1本だから、乗り遅れた時は、薄暗く冷たい感じだった茅ヶ崎駅構内。ホームに唯一あった立ち食いそば屋さんにずっと次の電車が来るまでいさせてもらった記憶がある。
 そこの体操教室は、私の記憶で、父が「加山雄三さんの○○のお教室」とよく言っていて、○○はよく聞こえなかったが女性だったのは確かに覚えている。 
 加山雄三さんは小さい頃よく聞いてた名前だからこれは確かである。海岸線の国道134線がまだ片道1車線で、いつも渋滞している印象があった。その渋滞の並びの先は浜須賀の信号のところにパシフィックホテルがそびえてた。(私が大人になってもしばらくはあった)

 数年前ラジオで加山雄三さんがゲストの回、過去に今まで数えきれないくらいの方々が政治家にならないかとお誘いあっても全て断ったお話。忙しい中でも慶應の受験勉強で毎日英単語200語覚えた話。3番目の我が子もユーチューブで加山雄三さんの曲をよく見ているのでミュージシャンを夢見る我が子も衝撃エピソードであった。

 聞き終えてから3番目の子は楽器に真っ先に行かずに勉強し始めた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
 
 
 

 



 


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