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「甘え」の極意 〜末っ子が伝える甘え上手のコツ〜

「甘え上手」と、私は、よく言われる。

実の姉にも言われてきた。
「あなたは本当に甘えるのが上手だった。姉として頼られて、この子のためにひと肌脱ぐか!と思わせるのが上手だった。うちの子どもたち見てると、そういうのが全然ない」と。

幼少期に、実の姉に、なんでも話してきた。頼ってきた。たっくさーーーーーん甘えてきたので、それを小学生のころ友達にもやってしまって「失敗した経験」がある。姉にも、よく怒られた。

そうした失敗のおかげで、ただ甘える「加減」を知っているだけだと思う。

おかげで、たしかに、私は年長者にたくさんかわいがられた。先輩にも、上司にも、クライアントさんにも。

異性の親である父には甘えられなかったが、男子にもたくさん甘えてきた。男友達にも、恋人たちにも。
 
だけど、この「甘える」ことについて、なんだか履き違えている人が多いな……とよく感じている。

甘え上手は、「頼らない」?

甘え上手と言われる私は、根本的に「人に頼らない人間」である。

小さいころから、友だちと話していて、相手を頼りないと思うので、人間関係についてほとんど相談してこなかった。

相談されることがあっても、こちらから相談はしなかった。

集団無視されていた中学生時代、感情を抱え込んで激しい胃痛になっては何度も何度も保健室に通ったが、一度もなにがあったのかを打ち明けたことはない。その若くて綺麗な保健の先生を信用してはいなかったのだ。

恋愛については、友だちに惚気話や報告(愚痴含む)はしていたが「恋愛相談」はしなかった。進むにしろ、別れるにしろ、自分で決めて、自分で動く。なんでも話せた姉も、恋愛については奥手だったので、姉にも相談しなかった。

心の内を「打ち明ける相手」は、信頼できる相手を見極めるようにしており、中学時代は、社会科の辰巳先生、高校時代は、社会科の伊敷先生と理科の足立先生などと決めていた。足立先生は深い話はできないので、世間話だけ、など話す内容も決めていた。

同級生には「報告」のみだった。男友達ともたくさん話をしたけれど、相談するフリはしたがほとんど「事後報告」。精神的に頼ったことはない。甘えるのは「お願いできそうなこと」だけ。

まずは自分で考える。答えが決まったら、部分的にだれかの見解を聞きたいと判断したら、それを「この部分だけ」と決めてから連絡する。

そういう甘え方なので、男友達も、彼氏も、きっと「寄り掛かられた」とは、誰ひとり思っていないと思う。「あなたがいないとダメ」と思ったことはない。絶対に重くない。だから、続く。

つまり。
「甘え上手」と言われる私は、本当に気を許した家族にしか甘えない。

めちゃくちゃオープンマインドではあるが、周囲の人たちを「頼れる人」としては認めてはいなかったのだろうと思う。

いまも、わが子にもほとんど甘えない。
求めない、頼らない、依存しない。
 
この世で唯一、いまの夫にだけは、思い切り甘えている(汗)。本音をぶつけてもいい相手として、境界線を飛び越えて感情をぶつけられるのは、相方だけだ。

過去の彼氏も、前夫も、すべてを伝えたことはよく考えたら一度もない(汗)。
 
それ以外の人に対しての相談は、いつも「部分」だけ。

人間関係において、約束を求めない、依存しない、委ねない、強要しない、束縛しない。男性にも女性にも。

あなたはすでに十分甘えている

「こんなサポートをしてもらいたい」
「こんなことで頼るかもしれません」
という、自称「甘えるのが下手」で「甘えたことがない」という人たち。
 
もう十分、甘えていると思いますよ。
 
むしろ、「お前のオールを任せるな♪」と言いたくなるような子が意外に多いなと、私は感じています。

私は、24歳で結婚し、25歳で第一子を産み、26歳で流産を経験し、28歳で第2子、30歳で第3子を産みました。

28〜32歳まで、パニック障害も患っていました。次女の産後、10歳年上の先輩ワーキングウーマンから夜中に電話がかかってきて乳飲み子を抱いたまま、私は彼女の話を聞き続けたりしました。それは、3時間に及んだこともあります。

ノーと言えずに腕が痺れ、寝不足になりました。

その人だけじゃなく、たくさんの人が、私に「話を聞いてほしい」と連絡してきて無料カウンセリングをしまくっていました。

それこそ「傾聴」ばかり。いつも聞き役なのです。

離婚についても、家族にはもちろん、友達にも相談しませんでした。

家に時々来てくれた叔母にだけ「現状」について話しては聞いてもらっていましたが、叔母に「どうしたらいいと思う?」と相談したことはありません。

唯一、精神科医の元カレに、「パニック障害」のことだけ相談しました。

離婚しようと決めてからブログなどで発信していたとき、友人からかけてもらった言葉に背中を押されたことはあります。

そのぐらいです。

「甘え上手」になるために自分に責任を持つ

極論を言えば、「甘え下手」でいいのだと私は思います。甘えることに慣れなくていいんです。突然、思い切り甘えるから、自分の船の「オール」ごと渡してしまう。

「お前のオールを任せるな」と中島みゆきさんも歌っていますが、自分の船のオールを渡したり、だれかが描いた地図で進もうとしたり、風の読み方を人に頼ったりしつつ、「甘え上手じゃない」と思い込んでいる人。

まずは、「自分は、すでに甘えている」という自覚を持つことをおすすめします。

その甘え方は、おすすめできません。依存が強すぎて、甘えた相手に振り回されます。

もしも、「甘え上手」になりたいのなら
・自分の選択に責任を持つ
・緊急事態は一人で乗り越える

という意識を持った方が良いかもしれません。

自分の答えは、自分の中にある。
選択してきた責任は自分にある。

と、思うからです。

自分がどう生きていけばいいのか。そういう「根っこ」の部分は、だれかが「教えてくれること」ではない。だれかが「助けてくれること」でもない。

最後は、自分。

最初から、だれかにサポートを望むのではなく「失敗を恐れない自分」を、自ら育む努力をしいくもの。そのために、「失敗」の体験をコツコツ積むこと。私は、そう考えています。

「失敗」は当たり前。
「失敗しないでおこう」とするから「生きづらい」という状況に陥ってしまう。

人は「失敗する生き物」です。

失敗した時に、自分を責める必要もなければ、言い訳をする必要もありません。

失敗を認めてくれない相手とは距離を置けばいいだけ。

甘えることも、「甘えるのが下手」なのではなく「甘えてみる経験」が少ないだけ。「甘えてみて失敗した経験」が少ないだけ……という人が、多いもの。

もっと「チャレンジ」をすればいいだけ。失敗しない人間なんて、絶対にいないのだから。「迷惑をかけないでおこう」なんて、絶対無理なこと。

迷惑でいいんです。そして、それは本来なら「迷惑」ではないはずです。

失敗する前に言い訳を用意する。
私は「甘え下手」だと決めつけていることも含め、自分をラベリングしたり、言い訳したりする。そういう自分の説明こそが「甘え」だとは思いませんか。

そう。あなたはすでに甘えている。

それを認めたうえで、「甘える練習」をして、「自分軸」をしっかり立てつつ、「部分的に甘える」ところへと少しずつ行動を変えていけたら、それでいいのではないでしょうか。

コツは、失敗すること。失敗から、学ぶこと。

自分の小ささを知り、自分に責任を持つ人こそが「甘え上手」なのです。

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