「絶望」したくないなら「望み」を増やせばいいんだよ
年の瀬。
孤独を感じる人も増えると言われています。
学校や職場での「いじめ」や、うまくいかない就活などによる絶望感を味わう人もいるでしょう。
私自身、山あり谷ありの人生。
育った家庭では、親が独裁者で支配しコントロールするタイプで、親から愛されている実感がなく、母親から「あなたさえ◯◯ならこの家は平和なのに」とレッテルを貼られ、学校でも友達との関係がうまくいかず、学校でも家庭でも、どこか浮いた存在で、「味方」らしき人は姉だけ(その姉は家でも学校でもうまくいっているため『共感』はだれにも感じられず)。父親には機嫌によって八つ当たりされ、両親から「躾け」と称して体罰を受けること多数。
小学校で裏切りや集団無視、乱暴な男子に攻撃の的にされ、中学では集団無視、ものを隠される……などのいじめにも遭い、攻撃され、高校では女子の嫉妬による集団無視、嘘の噂を流される……などのひどい仕打ちを受けるなど、孤独感をたくさん感じて生きてきました。
それでも、不思議なことに「絶望」という言葉が浮かんだことがなく、学校をサボることも親から許されず。
「しんどいから死にたい」
「私は存在に値しない」
「もう終わりにしたい」
と思ったことは何度もありましたが、
「どうして私だけ?」
「私ばかり不幸」
「もう絶望だ」
とは思わないまま生きてきました。
4年つきあった彼氏に浮気された時も、前夫に裏切られ自分の貯金を300万円勝手に使われるなどの被害に遭っても、なぜか絶望はしない。
ただ、パニック障害になり、鬱症状が出てきて、「自分の心がコントロールできない恐怖」に陥ったとき、怖さのあまりにいっそ死にたいと思ったことは何度もあります。
また、7、4、2歳の三姉妹を抱えて離婚した後、本当に自分はこの3人の子を成人するまで育てあげられるのかという重責に逃げたくなり「もう終わりにしたい」と思ったことは何度もあります。
「見えない味方」がいる気配
ただ、そんな人生のなかでも「望み」がすべて「絶たれる」ことがなかったのは、「望み」を複数持ち、自分の世界を「目の前の世界」から枠を外したずっと広い世界へと意識を向けていたからではないかと思うのです。
私には、不思議な直感がありました。
私は、「この人と仲良くなりたい!」と直感で感じた人といつも仲良くなれました。男女問わず、興味を持った相手と、そこそこ仲良くなれます(でもなぜか仲良しが必ず引っ越してしまうパターンが繰り返され、私は必ず再度、孤独になるのです)。
そうして、さまざまな苦しみを体験していくなかで、それを「自分の心に正直に乗り越える」ことによって、「人生」というRPGゲームをクリアして、少しずつ自分の仲間が増えていくことを知っていました。生まれた時には忘れていたけど、不思議と「そんな運命のルールがあることを私は知っている」と思い出しました。
その直感や、「確実に大切な人脈を増やせる自分の能力」については、どんなことがあっても色褪せず、どれだけ友達に裏切られても、どれだけ両親や担任教諭などの身近な大人が理解してくれなくても誤解して叱られても、「いや、私のことをわかってくれる人が必ずこの世のどこかにいる」と信じ切ることができました。
これはもはや、経験による自信ではなく、根拠のない自信です。
「自己信頼感」と言われるものにプラスして
「全能なる宇宙」への信頼感みたいなものがありました。
見えないけれど、自分が正しく生きているかどうかは誰かが見ていてくれて、徳を積むたびに神様ポイントとして確実に積み重ねていくことができると知っていて、そのポイントによって、「不幸中の幸い」に恵まれ、「自分は強運の持ち主である」と確信することができました。
この見えない
「自分」と「宇宙」への信頼感。
私には「目には見えないたくさんの味方」がついている。という不思議なぐらいの確信がありました。
その見えない味方は、先祖の霊魂なのか、守護霊なのか、ハイヤーセルフなのか……全然わかりません(笑)。でも、たしかに私にはサポートしてくれるだれかがついてくれている。逆にいうと、「見張られているから、絶対にずるいことをしても罰せられる」という怖さもありました。
「人が見ていなくても、私たちが見ているのだから、ちゃんとしっかり生きなさい」と言われているかのように、ちょっとしたズルのつもりが謝罪しなきゃいけない展開を迎えたり、集団でやったいたずらが私一人だけバレたりなどの天罰にもよく見舞われました。
つまり、良いおこないも、悪いおこないも、だれかに見られている……「因果応報」を時間せざるを得ない人生であったとも言えます。
そんなわけで、私は「今生」において、「人間」としては「一人」だとしても、しっかり生きていけば、一つひとつ反省しては成長し、課題をクリアしていけば、いい人に恵まれ、いい機会に恵まれるのだ……ということを潜在意識として知っていたのだろうと思います。
家族が一番の味方とは限らない
例えば、「自分の一番の味方は家族である」と、「家族」に望みを託してしまうと、両親が自分のありのままを愛してくれないのは「絶望」になります。
でも、私はなぜか「家族以外に、わかってくれる人がどこかにいるのではないか」と考えていました。
そして、実際に、親以上の深い信頼関係を、いまの夫との間に築くことができています。
友人にしてもそうです。同じクラスにはなかよしがいなくても、隣のクラスにはいるかもしれない。市のキャンプでできた友人とは話せるかもしれない。部活の友達には話せるかもしれない。
目の前の世界だけであきらめなかったのです。
ここがダメでも、あそこではどうだろう?
このやり方がダメでも、別のやり方はないものだろうか?
いくつのも「正解」を自分で見つけたり、作り上げたりするのが、得意でしたし、そのための努力を惜しみませんでした。
いま、孤独なあなた。
本当にあなたは、ひとりぼっちですか?
ひとりぼっちにならないために、根気よく「ここがダメなら、あそこにはいないものか」と、つながる相手を探しましたか?
リアルがダメなら、ネットでもいい。
私は、ネットでも丁寧に友人を探し、ネットが始まりだけれどもリアルで信頼できる友人が何人もいます。だから、シングルマザー時代も孤独ではありませんでした。
考え方などの「根幹」になんらかの信頼があれば「枝葉」まで同じ思考じゃなくても構いません。自分とまったく同じ人を探すのは不可能です。
そんな相手を見つけた時に、感謝して、その方を大切にしてきましたか?
大切にして、相手を尊重しつつ、助け合う。そうやって育んでいけば、家族以上の友人や恋人は見つかります。孤独から逃れるには、
・根気良く探す
・相手を大切にして出会いに感謝する(遠慮するのとはちょっと違う)
・本当に困ったらSOSを出してみる
甘えること、自分を律すること。どちらも必要でそこはバランスです。でも、失敗しても本当の友人ならやり直せます。失敗を恐れないで。
私自身、甘えがひどい友人とは距離を置いてきました。でも、いつでもやり直せるポジションではいます。
つながる勇気を持って、嫌われる勇気を持って、「孤独」から脱するためにチャレンジしてみませんか?
あなたの仲間は、必ずいます。