視線の先に
最近、クラスの男子たちが、女子の悪口を言っているのがちらほら耳に入るようになった。特に、みんなに嫌われていると噂される女子に対しては、あからさまに冷たい態度をとる姿が見受けられる。その視線がいつか自分にも向くのではないかと考えると、ひやりとする。気にしないようにと心がけてはいるけれど、結局は私もまだ多感な高校生だ。男の子からの評価なんて気にしなくても、他人から陰で何か言われているかもしれないと思うと、少なからず心がざわつく。
ある日、思い切って男友達に聞いてみたところ、幸運にも「お前は言われてないよ、むしろ言われてない四人のうちに入ってる」と返された。少し安心したのは確かだけど、その言葉が果たして本心なのか、ただのご機嫌取りなのか、真相は分からない。軽く口にしたその“言われてない四人”がどこまで正直なのかは、なんだか信じきれない部分もある。たとえ言われていなくても、知らないうちに自分も同じ立場に置かれる可能性を考えると、どこか安心できないものがあるのだ。
私自身、どちらかといえばクラスの中で嫌われがちな女の子に好かれることが多く、そういう子と一緒にいることが自然と増える。もしかしたら、そんな環境が「こいつもあいつら達と同じ」だと男子たちに思わせているのかもしれない。実際、一人でいる時の私はというと、ひたすらパソコンをいじったり、本を読んだりするタイプで、“変な部活人間”なんて冷やかされてもおかしくないくらい地味な存在だ。けれど、どういうわけか今のところ悪口の対象にはなっていない様子。それが本当だとしたら、どうして彼らは私をスルーしているのだろうか。なぜ何も言われないのか、少し不思議なくらいだ。
とはいえ、じっくり考えてみれば、彼らも私も、他人にどうこう言えるほどの“立派な人間”とは程遠い。私だって、時々人の悪口をつい言ってしまう自分がいる。だから、誰かを責める資格なんてないし、むしろ自分を振り返るべきだと思う。それでも、なぜかクラスメイトの男子たちが繰り広げる悪口大会の輪から、私は一歩引いたところで眺めている。この微妙な距離感に、妙な居心地の悪さと安心感が混ざり合っている感じがするのだ。
人と人の関係は複雑で、ちょっとした言葉や態度が、どれだけ相手に影響を与えるかなんて想像もつかない。けれど、今の私はその渦の中に深く関わる気はない。ただ、ふとした時に彼らの視線や言葉がどこか遠くから自分に届くような気がして、そのたびに心の中で小さな波紋が広がっていくのを感じている。高校生活の中で、その波紋がどこまで続くのか、これからもきっと知ることになるだろう。
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