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絶望に叫ぶ音、神聖かまってちゃんという救い

神聖かまってちゃんを聴いた時、まるで世界の終わりが目の前に広がっているような、そんな不安と衝動に包まれた。彼らの音楽は、一見ただの混乱と騒音のように思えるけれど、その中には壊れそうなほど繊細な心が隠れていて、だからこそ心の奥深くに響く。彼らの曲には「叫び」が詰まっている。ただの歌声じゃなくて、どこかで自分自身に向かって放たれている絶望の叫び。それが、わたしを揺さぶり、掴んで離さない。

神聖かまってちゃんは、いつだって現実から逃げ出そうとしているように感じる。どこにも行き場のない焦燥感と、誰にも理解されない孤独が、曲の中で膨れ上がり、そのすべてが一つの音楽として爆発する。彼らの音楽を聴くと、自分が抱えている不安や恐怖が、そのまま音に変わって流れていくような気がする。特にの子の歌詞は、無防備で、生々しくて、そこには一切の装飾がない。だからこそ、余計に心に突き刺さる。

彼らの音楽は、「わたしなんて誰にも理解されない」という感情が根底に流れている。だけど、その「理解されない」という感覚が、わたしを引き寄せる。誰かに理解されなくてもいい、そのままの自分でいていいんだと、彼らの音楽は教えてくれるようだ。それは、決して優しいメッセージじゃない。むしろ、苦しみを抱えたままでも生きていけという、苛烈な励ましのようなものだ。

ライブ映像を見ると、の子が叫びながら、必死にもがいている姿が映し出される。ステージ上で彼が壊れていく様子が、ただのパフォーマンスじゃないことが伝わってくる。その瞬間、音楽と現実の境界が消えて、わたし自身もその混乱に巻き込まれていく。の子の絶望とわたしの絶望が重なり合い、同じ地平線上に立っているような感覚になるんだ。

神聖かまってちゃんの音楽は、傷ついた心をそのまま曝け出す。わたしたちが普段、隠している感情や傷が、彼らの音楽を通して表に出てくる。何も隠さない、取り繕わない。そのままの感情でぶつかってくる彼らに、わたしも同じように自分の弱さや不安を曝け出してしまう。彼らの音楽は、逃げ場のない現実を見せつけながらも、その中でどうにか生き抜こうとする姿を映し出している。

彼らの曲を聴いていると、ただの音楽以上に、生きるための衝動を感じる。それは決して美しいものじゃなくて、どこか歪んでいて、痛みを伴うものだけどその歪んだ感情こそがわたしを生かしている気がする。神聖かまってちゃんの音楽は、いつだって心の奥底に眠る不安と絶望を掘り起こしてくれる。その音楽に触れるたび、わたしもまた何かを叫びたくなる。

彼らは、ただ音を鳴らしているだけじゃない。その音の中には、わたしたちが普段隠している本音や感情が詰まっていて、それを聴くことで、自分の心の中を改めて見つめ直すことができるんだ。神聖かまってちゃんは、わたしにとって、現実の中で自分を失いそうになる瞬間に、もう一度自分を取り戻させてくれる存在なのだ。

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