見出し画像

師の訃報に際して

    大好きな人が、人を卒業してしまった。それを知って我慢できず、御茶ノ水の路上でふるふると泣いてしまったので、道行く人からは可哀想な社会人だと思われたかもしれない。もちろん、誰も可哀想な人などではない。私も、谷川さんも。
    小学校の図書室の、少し手の届きにくい上の方に、『谷川俊太郎詩集 続』はあった(『続』でない方はなぜかなかった)。気取りたい時期だったので、こんなに分厚い本を読んでいればさぞ頭が良く見えるだろうと思って手に取った。そしてその中の、「今」という詩に心を奪われた。谷川さんが21歳とか22歳とかそんな頃に書いた詩だった。今の私とまるきり同じくらいだ。あの詩を読んで、初めて私は自分の死を考えた。私はいつか死ぬ。今嬉しくても悲しくても、失っても何かを得たばかりでも。目まぐるしく状況は変わり、瞬く間に過去になり、そうして過去が蓄積されていく。時間がぐいぐいと私の背中を押し、いつか時間から追い出される時が来る。蓄積してきたものを振り返り、自らの人生に満足したい、その時がいつ来てもいいように生きたい。好きなものをたくさん見つけて、やりたいことをたくさんやって、愛すべき人をたくさんたくさん愛したい。

せめて死の前にこそ
すべての真の姿に気付くことが出来るといい
私の生がどうしてもはねのけられぬ重さをもって
私の墓石になってくれるのを私はひそかに願っている

  「今」の一節だ。谷川さん、あなたの生は、とても重かった。あのときあなたの詩に出会った一人の少女は、そのおかげで文学の道を歩み、これからもあなたを、おこがましくも勝手に師と敬い、この人生を歩んでいきます。そういう人が、この世にたくさんいます。あなたの詩を胸に抱いて、あなたに詩人にしてもらった私は、これからも詩のある世界を生きていきます。好きです。谷川さん。大好きです。あなたの詩に出会ってから干支が一周する程のわずかな間、あなたのいる世界に生きられて本当によかった。谷川さんの魂のこれからが、祝福のもとにありますように。


いいなと思ったら応援しよう!