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私達、とか言わせて

    note、超超久しぶり。と思ったけど一ヶ月強しか経ってなかった。それを何千年もの時に感じられる自分の若さにほっとするやら、生き急ぎすぎだろと突っ込みたくなるやら。兎に角私的にはお久しぶりです、noteのみなさん。

    久しぶりという思いで書き始めただけなので、特にこれ以上書くことはないのですが…どうしましょう?大学生になってからの変化とかでしょうか。私自身は全く変わっていませんが、高校生の私を取り巻いていた人々や場所にとっての私はほぼ無に等しいところまで薄れてしまった気がします。仲良くなりたかった人もそう、好きな喫茶店もそう、代わりに新しい出会いもありますが、私の中では好きなものが増えただけです。でも彼らにとっては代わってしまったのだろうなあ。きっと人それぞれ好きでいられるキャパシティは違っていて、新しい楽しみを満喫するのに私が邪魔だったりもするのかも。人は変わってしまうけど、最後の最後には高校生くらいの心に戻るものだと信じていたい。ああでもやっぱり、その時のその人が幸せでいられることがいちばんです、私はそれを望みます。

    ていうか、Twitterの文学垢に全然変化がなくて困っています。じわじわ伸びたりするものかと思いきや、そうじゃないのね、世の中甘くないわ。私は最近「正直詩」なるものをせっせと執筆しています。その名の通り、自分の感情を隠さず誤魔化さず正直に言葉にすることを目的とする詩。とか言ってるけど、本当はそのほとんどが一人の人を思い浮かべて書いた詩です。そしてそのさらに半分は、0.7秒程の一瞬を詩にしています。その人とのデート(私は誰と会うにもデートと表現します)の帰り道、私達の会話はその日でいちばん盛り上がっていて、点滅する信号の前で躊躇っていたら赤になってしまったあの瞬間。世界が強く白い光を放って、あの人の控えめな笑い声が頭に響き渡り、永遠のように長く感じられた瞬間。白昼夢のようでした。私はそれを忘れられず、詩で本物の永遠にしようと試みるのです。敬愛する雪舟えま先生の短篇、「電」のワンシーンを思い出します。

「景色が異常に綺麗だ。これはあんたが見せてくれてるんだろう」

「どんなふうに見えている。教えておくれ」

「風のひとすじごとに色があり、音が異なる。耳の穴に甘いものがたまる」

あの景色は、彼が見せてくれたものだろうと思います。彼には香香少将が電に抱くような気持ちはないけれど、私ひとりじゃ見られなかったから。もし彼も見たならあれは二人で見たということになるし、そうでなければ彼が私に、一方的に見せてくれた美しいものです。私はあれを見てしまったから、そう簡単には彼から離れられなくなったのです。全てには意味がある。私はあの日の意味が知りたい。あの人は私のnoteを読んでいないだろうし、もし読んでいても書かれているのが自分のことだなんて思わないのだろうけど、今はもう少し、この光り輝く思いを大切にさせてくれたらいいなあと思います。

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