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成人式なんて消えればいい
毎年思い出す、成人式の苦しい思い出。
友達が少なく親と不仲だった私にとって、成人式にいい思い出なんて全くない。
同窓会に誘われもせず、成人式に出た後は風俗時代の客と高い食事を食べに行った。
彼はこんな私をどう思っていたのだろうか。
あんな儀式なんて存在しなければ、惨めな思いなんてしなくて済んだのに。
時間を巻き戻せるのなら成人式を迎える前の私にこの文章を読ませたい。
振り袖に憧れがあったから、着てみたかった。
でも種類は選べず、姉のお下がりを着ることになっていた。
母は姉の成人式の際に新品の振り袖を買っていた――うちは貧乏な母子家庭なのに。
当時、姉は好きな振り袖を買ってもらいとても喜んでいた。
それを覚えていたから、私は複雑な気持ちで実家の団地に振り袖を取りに行った。
自分にとって何の拘りもない、高い着物。
着付け代も写真代も、母には払ってもらえなかった。
準備も手伝ってもらえなかった。
私は一人で全て調べて前撮りや着付けの予約と支払いをした。
何万円かかっただろうか。
当時私は風俗時代の客に水揚げされそのおじさんの家に転がり込み、月に数十万円を受け取っていたからそこから捻出できた。
一人ぼっちで前撮りに行った。
写真館の人、美容室の人、みんな親の話をしてくる。
「親御さんは?」「見たらきっと喜ぶだろうね」
振り袖に憧れがあったからこうしているだけで、別に見せる相手なんていない。
喜ぶ親なんてどこにもいない。
顔も合わせず会話もないんだから。
成人式当日。
私は高校の同級生と一緒に式に出たが、同級生はその後同窓会に行ってしまった。
私は誘われていないから、おじさんと食事に行く約束をしていた。
私の好きな高級しゃぶしゃぶ店だ。
彼は写真も撮ってくれたし、多分きれいだと褒めてくれていたと思う。
申し訳ないけど嬉しくはなかった。
一緒に過ごしてくれる人がいることはありがたかったが、みんなみたいに、友人と過ごしてみたかった。
家族に褒められてみたかった。
でも私にはそれはできなかった。
発達障害でおかしな私、口を開けば失礼なことを言う私、周囲に理解できない行動をする私は誰にとっても大事じゃなかったんだろう。
だから誰も一緒に過ごしてはくれなかったし、親に可愛がられることだってなかった。
おじさんは敢えて「同窓会は?」と聞いてこなかったんだろう。
家庭事情が悪いことも知っているから、本当に何も聞いてくることはなかった。
女子大生を家に連れ込みお金で飼うのはさておき、優しい人だった。
私にはそういう、お金と体で繋がった関係しか作れなかった。
成人式にいい思い出がある人がこの世の大勢かもしれない。
でも私にとってはただ振り袖を着るためだけのイベントで、惨めで虚しい思い出しかない。
写真はクローゼットの奥底にしまってある。
成人式に出たり、振り袖を着ることが当たり前じゃなくなってほしい。
私は体を売っていたからお金を用意できたけど、別にそこまでして振り袖を着る必要も写真を撮る必要もない。
無理して着たって惨めなだけなんだから。
周りと自分の境遇が違うということを諦めて早く受け入れた方が、この先もきっと楽になれる。
いつまでも周りに合わせようとしていたら本当に自分らしい生き方も幸せも見つからないまま、惨めな思いを繰り返すだけだ。