見出し画像

人を育てる/人が育つ場をつくる


仕事柄「人材育成」やら「子どもの教育」というものについて考えることが多いのですが、人材を育成するというよりも人が育つ場をつくるにはどうしたらいいか?を考えた方が手っ取り早いというのがどんな場合でも意図している。

数年前にとある高校3年生の女の子の大学受験の手伝いをした。
高校3年生の5月ごろから週1回1時間ズームで会議をするという内容だった。

当時偏差値50くらいで目指す大学は偏差値62ほどで半年で偏差値を12くらい上げなければならなかった。

勉強時間も1日1-2時間程度でやることを決めても「寝ちゃいました〜、、」と言う子でどうしたものか、、と悩んだが結果として志望校に現役で合格することができた。

何を意図していたか?というと以下の3つだった

①勉強を楽しいと思ってもらう
②前進実感を持ってもらう
③当たり前の基準を上げる

①勉強を楽しいと思ってもらう
何かの本で人は「楽しい」と思っている時が最もパフォーマンスが高くなると書いてあった
実体験を振り返っても、やはり「楽しい、、」と思っている時はスポーツだろうが勉強だろうが、遊びだろうが、漫画だろうがとてつもない集中力を発揮する

逆にいうと、結果を出さなきゃ、、とか、うまくできるだろうか、、などプレッシャーや不安を抱いて、いつも通りの成果を出せなかった時もある

最高の教師というのは生徒を学習中毒にさせることだと思う
説明がわかりやすい人でも、話が面白い人でも、生徒に向き合う人でもなく、歴史の先生の役割は生徒に「歴史ってめっちゃおもろいやん!」と思わせることである

それさえ達成すれば勝手に勉強するし、勝手に調べるし、勝手に質問したりしてくる

具体的には歴史に興味を持ってもらえるように自分が知る限りの歴史の面白さを語った
・なぜ紫式部は平氏側の人間だったのに源氏物語を書いたのか?
・天皇と将軍という2トップが


②前進実感を持ってもらう
前に進んでいる感覚というのはモチベーションを増幅させる
人は人との比較によって不幸になったり絶望したり、自己否定していくが、これは複数人で社会生活を営む人間には必須の比較なのだろう
だからこと、意味がないと分かりつつも気づいたら人と比較してしまう

特に受験という競争環境においては比較でしかものを考えられなく、評価できなくなるのも無理はない

だからこそ、過去の自分と今の自分を比べてどれくらい成長しているのか?ということを何度も何度も毎回の授業で会話した

この1週間でどれくらいの勉強を積み上げ、何を学び、どんなことに気付いたのか?

日に日に自分が合格に近づいている実感を持ってもらうように心がけた


③当たり前の基準を上げる

結局、成果を上げるときに「やる気」に頼ったら詰む

モチベーションは生まれるものであって、上げるものではない
モチベーションを上げたら、当然驚くほど近い将来に無理やりあげたモチベーションは下がって元通りになる

モチベーションは上げるものではなく生まれるものだし、上げるのはモチベーションではなく当たり前の基準である

受験指導の時は毎日20個の英単語を覚えようとしていた子に対して
毎日英単語帳のうち150単語を3周することを当たり前にした
朝起きてから1周、学校で1周、家に帰宅後1周という具合にやってもらった

1周するのに何故やるか?という理由づけなど必要なく、当たり前なのだからただやるだけ
歯磨きやご飯を食べることと一緒
いちいちなんでだろう?とか考えずに毎日のルーティンにしてもらう

その子の場合は1ヶ月くらいでいくつかの勉強が習慣化した

成績として結果が出るまでには時差があるが、勉強習慣はまるで変わった


結局、この
①勉強を楽しいと思ってもらう
②前進実感を持ってもらう
③当たり前の基準を上げる

は「勉強」を「仕事」に変えるだけでビジネスマンや新入社員の教育についても全く同じだと思う

人が育つ会社をつくる

これが人事というか経営者の仕事



いいなと思ったら応援しよう!