愛する娘にトゲのある言葉を言って泣かせた。あらためて痛感したこと
一昨日。
引越しの荷造りと
娘の遊び相手と
1週間分のみそ汁の具のストック作り
それから外で娘と遊ぶ
お腹にお子がいるのに、
そんなことを休み無しでやったせいで
4歳の娘にひどい言葉を投げてしまった。
風呂のふちに洗面器をおけない(水切れのため微妙に斜めになっているから)ことに腹を立てる娘。
「なんで!!」と怒る娘。
「風呂のふちは傾いていて…」と馬鹿正直に説明する私。
そんなやり取りを何度かして、私のイライラが沸点に。
「じゃあ もうやめたら?」
トゲのある言い回しで言ってしまった。
案の定、
「やだ!」
「なんでのせられないの!!」
「ママやってよぉ!」
「もおおおおおお!!!」
かんしゃくを起こす娘。
そしてここからが悪かった。
「ママきらい!」
「知ってる」
「もうママと一緒にいない!」
「どうぞ」
「保育園も行ってあげない!」
「どうぞ、ママもパパも明日はお仕事だから一緒にいられないよ」
「もうママきらい!パパのところに行く!」
「どうぞ」
「ママと寝ないから。パパと寝るもん」
「どうぞ」
「ねぇ!体ふいてよぉ!」
「いやだよ、ママのこと嫌いなんでしょ。パパにふいてもらえば」
「う、う、うぇぇぇぇ!!!」
タオルに顔をうずめて泣き出す娘。
泣かせてしまった。
大人げなかった。
わかっている。
でも疲れていたのだ。
夫が仕事に出ていて手伝いが見込めない中で、
1人大きくなってきたお腹を支えながら引越しにむけて荷造りをし、
来週やってくる引越しに備えて野菜を切り、
娘を放ったらかしにしてはいけないと重たい足どりで外遊びに付き合ったのだ。
そんな状態で、
どう頑張っても無理な要求を
狭い部屋の中で
まぁまぁの声量で求められ続けたのだ。
キレてもおかしくはない。
昔はこれを、
「キレてしまう私の人間性の問題」
にしていた。
けど違う。
本当の問題は、私自身が
エネルギー切れでキレてしまうまで
一日中休みも取らずに活動していた事だ。
疲れの度合いをいまだに
うまくはかれていないことだ。
「まだいける」
「ついでにやっちゃおう」
が積み重なって、
一日が終わってしまったことだ。
「きちんと決めて、休む」
「自分が思っているより体も脳も疲れている前提で動く」
ということを徹底できなかったこと。
私の敗因はここにある。
目先の小さな達成感をとって、そのかわりに娘をひどく傷つけたのだ。
その結果、
いちばん弱いから守らなくちゃいけないと思っていた人に当たってしまった。
そして後の罪悪感は半端ではなかった。
私が疲れから傷つけ、突き放した時の娘の表情は、これまで見たことの無いものだった。
絶望を受けた顔だった。
娘だって、一日をなんとかやり過ごして疲れていたはずなのだ。
うちではワガママ娘だが、その分外では一生懸命先生の言いつけを守ったり、友達の要望に応えているのだ。
日頃から言われる褒め言葉や、遊び場での他の子とのやり取りを見ていたらわかる。
それなのに、
疲れきって甘えたい時間に
母親にまで突き放されて。
しかもトゲのある言葉で攻撃されて。
自分には反撃の手札がないことを突きつけられて。
まだ4歳なのに。
どんなに心細く感じただろう。
ひどく、心が痛んだ。
親というものは、どんなに頑張っても子供を傷つけてしまうことがある。
何気ない言葉や行動のこともあるけど、
こうして余裕がなくなったときに悪意のある言葉で子供を攻撃したくなることもある。
それを私は
「親だって人間」
「仕方ないこと」
で済ませるのは嫌なのだ。
疲れきってキレるまえに、
私はやっぱり休まなくちゃいけないのだ。
一緒に遊んで欲しいという要望(娘)や、せめて朝食くらいたっぷり野菜を食べたい(夫)
という要望に答えるのも大事な仕事だ。
でも、その見返りがこんな形なら、
「ごめん、今その要望にはこたえられない!私は寝ます!」
と言って休んだ方がよっぽどいい。
タスクをこなせても、要望に応えられても、
大事な人を傷つけるようでは意味が無い。
存在を軽視したり否定するような態度や声かけをする人間でいるより、
「ママの処理能力はそんなに高くないのだ」
「仕方ない」
と諦めてもらうほうが500倍いい。
世界一大事な存在で、
世界一自分を愛してくれる尊い存在である娘。
この子をこれ以上傷つけないためにも
タスクを達成することだけで承認欲求を得ようとするのはいい加減卒業したい。
もう何十年も、これで失敗してきたのだ。
大事なものを大事にしたいなら、やはり勇気を持って休むべきなのだと改めて思った。
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