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真実はいつも一つ、、、か?
こんばんは。
土日で計12時間の勉強会に参加して、頭がパンクした、たからです。
さて、今日は捉え方についての話をします。
真実はいつも一つ!!果たしてそうでしょうか。
はい、真実はいつも一つです。
しかし、一つの真実に対して捉え方は無限にあるということを学びました。
0と1は確かに2つという事実はそうなんですけど、0と1の間には無限にあるということです。
アナログからデジタルに進み、色んな変化が起こりましたが、やっぱりアナログが必要な時もあります。オフラインからオンラインにどんどん進みましたがが、やっぱりオフラインに勝てない事もあります。
例えばこんな事実があったとします。
【自粛期間中で家族と過ごす時間が増える。】
ある人はこういいます、「旦那がずっと家にいるのはストレスだ」と。
ある人はこういいます、「家族と過ごすと普段聞けない話も聞けて勉強にななる」と。
ある人はこういいます、「家族と過ごすとのんびりできるから休息になる」と。
ある人はこういいます、「家族と過ごす時間が増えるから、大事にできる」と。
ある人はこういいます、「せっかく家族と一緒に過ごせたので、パーっとご馳走を作ったり、ゲームしたり遊びまくれる」と。
家族と過ごす時間が増えるという事実は、他なりませんが、その事象の捉え方はたくさんあると思います。
つまり、僕が感じていることに、相手が分かってくれるとは限らない。
自分はこうだと思う、この方が良い。と思っていたとしても、相手の世界がその枠に入っているかは分からない。
OSが違うのに、理解し合おうとすることに無理がある。
windows,Mac,iphone,android、みんな違ってみんないい。
血圧は正常範囲に収まった方が良い。でも、正常範囲からはみ出てても健康な人もいる。西洋医学で考える臓器と東洋医学で捉える臓器は意味合いが違う。それはOSが違うから。
必要なのは、デジタルの正確性ではなく、アナログの曖昧さ。
なんか、物無くした時のあの感じ、そして、あの、探してない時に見つかったときのあの、なんか分かるしょ。あの感じ。
これくらい曖昧さが丁度いい。抽象的で良い。自分の世界が大きな器であった方が良い。捉えられる世界を、枠をなるべく広げてあげること。その方が相手を理解できる可能性が広がる。
それでもやっぱり、あの感じが理解できない相手も居る。それは仕方ない。まだその域に達してませんでした、すみません。では、またいつか!で終わり。
嫌われる勇気。というか、好まれようと思ってない。こと。
一方で、指導する立場である以上、自分の感覚や捉え方に留まらず、いろんな視点を持てるように努力は必要である。
だから曖昧さ。
なんかこの感じ、分かるしょ?でこの感じがどんな風に相手が受け取っているかを読み取ってあげる。
「あぁ~そう受け取ったのね!」となったら、そこにチューニングを合わせてあげる。
だから、色んな人の話を聞いたり、色んな人を指導する経験を経たり、色んな人が居ることを学ぶ。
そしたら、理解しえなかった、またいつか!の人に再会できるかもしれない。
皆さんのnoteで綴られている世界も面白いです。
いつも有り難うございます。