能『山姥』
人間の、その欲望から去るのが悟りの境地である事は言うまでもない。誰しも、それがなくばどれ程、生き易いか自づから心得てはいる。だが、その様にいかぬのが人間の性。古来より人々はそれを知っている。妄執とは人間に備わった誠に面倒な物だ。
世阿弥による五番目物の大曲「山姥」は、妄執に苦しめられた成れの果て、即ち「鬼女」の悲しみを描いた作である。その物語は世阿弥が、人間の繰り返される執着の円舞曲を山姥に託して描いているように思える。
粗筋は次の通り。
信濃国の善光寺へ参るべく京都から旅をしている「ひゃくま山姥」として名声のある遊女と京からのお付き二人は越中の境川に辿り着いた。土地の者に善光寺への道を示され、その道のうち上路越は阿弥陀が踏み分けた道である、と伝えられる。しかし、そこは容易には生き難い。遊女は己の道は修行の道ならば、と敢えて険しい道を踏み分ける事にした。
突然、未だ暮れる筈のない空が暗くなり始め一行は驚愕する。すると通りがかりの一行に向かい宿の提供を申し出る。女が一行に懇ろにした訳は有名な遊女の曲舞(「(正式でない舞の意で、正舞に対する語)南北朝時代から室町初期にかけて流行した芸能。」(日本国語大辞典))が見たいからであった。
女の正体こそ山姥であった。本物の鬼女を前にして断るのも恐ろしい遊女は舞う事にする。だが、折角ならば日が暮れるまで待ってくれ、と言い残し女は消えた。
夜、風が吹く。月が出る。遊女は舞い、女は鬼の姿で暗がりから身を現した。乱れた白髪は雲のかかったいばらのようで、目の光は星の様。朱色の顔面は正しく鬼瓦である。そして舞始める。妄執を離れられぬ苦労、輪廻から解脱出来ぬ痛みを語りながら。
都で私を語ってくれと一行に伝える。そしてやがて山から山へ、とうとう見えなくなってしまった。
この能の魅力はやはり、山姥の出自を語る後半だろう。圧倒的なセリフ量で、人間の業の深さを舞台である深山、深谷という場を惜しげもなく絡め語り尽くす。山川草木、花鳥風月を全速力で駆け抜け山廻りからやがて輪廻という神秘的領域に到達する壮大さ。だが、決して成仏できぬ悲しみがある。それは山姥の「都にかえりて世語りにさせ給へと。思ふはなほも妄執か。ただうち捨てよ何事もよし足引の山姥が山廻りするぞ苦しき。」から明らかである。
鬼と化しても尚、いや鬼と化したが故に苦界から逃れる事は出来ないのである。
(了)
引用
新潮日本古典集成「山姥」
画像
「能楽図絵」「山姥」
作者:月岡耕漁 判型:大判錦絵
出版:明治34年(1901)