【ふくろう通信09】アスティと「失われた時を求めて」第1巻
フランス文学研究者の間で最も人気があるのはプルーストの長編小説「失われた時を求めて」だそうだ。ネルヴァルの専門家が「優秀な学生はみんなプルーストに行ってしまう」とぼやくのを聞いたことがある。実際、立教大学で2017年10月から2年かけて行われた公開セミナー「新訳でプルーストを読破する」は、100人ほど入る教室が毎回ほぼ満席になっていた。
アイテムを手がかりに
きわめて解像度の高い描写、人間心理を巧みに腑分けする手並み、多彩な比喩……。魅力は多岐にわたり、何度読んでも新たな発見がある。そんなところが研究者を惹きつけるのだろう。ただ、ふつうの読者が徒手空拳でプルーストの大海を前にしても茫然と立ちすくむだけ。ここはひとつ、作中に登場するアイテムを手がかりに、こぎ出すことにしたい。テキストには吉川一義訳「失われた時を求めて」を使おう。
ひと口が口蓋にふれたとたん…
「失われた時を求めて」といえば真っ先に思い浮かぶのがマドレーヌ。ある冬の日、帰宅した「私」が凍えているのをみた母親が紅茶を勧めた。「私」はふだんは紅茶を飲まないのに、なぜかこのときは飲んでみることに。母親は紅茶とともに、ホタテ貝の殻に入れて焼き上げたようなミニケーキ「プチット・マドレーヌ」を持ってきた。
<お菓子のかけらのまじったひと口が口蓋にふれたとたん、私は身震いし、内部で尋常ならざることがおこっているのに気づいた。えもいわれぬ快感が私のなかに入りこみ、それだけがぽつんと存在して原因はわからない><明らかなのは、私が探し求める真実は、飲みもののなかではなく、私のうちに存在するということである>(第1巻111㌻)
マドレーヌが触媒となって立ちあらわれたのは、コンブレーという田舎町で過ごした少年時代の想い出だった。
<その味覚は、マドレーヌの小さなかけらの味で、コンブレーで日曜の朝(というもの日曜日は、ミサの時間まで私は外出しなかったからである)、おはようを言いにレオニ叔母の部屋に行くと、叔母はそのマドレーヌを紅茶やシナノキの花のハーブティーに浸して私に出してくれたのである>(同115㌻)
官能に直接働きかける匂いと風味が昔の想い出を呼び覚ますことは、誰にも覚えがあるだろう。そして心の奥底にしまい込まれた想い出がゆっくりと広がっていくようすを、プルーストは日本の水中花にたとえて説明する。ここは日本の読者がとりわけ親しみを感じるポイントだと思う。
ワイン1箱をプレゼント
「私」の家に出入りするスワンというユダヤ系株式仲買人の息子がいる。ブルジョワ(=非貴族)でありながら豊かな教養でパリ社交界の寵児となっているが、祖母の2人の姉妹はそんなスワンを敬遠している。ところがある日、2人あてにスワンからアスティのワイン1箱が贈られる。これに気をよくした2人はスワンが来た時にお礼を言うのだが、遠回しすぎて伝わらない。思わず苦笑したくなる場面だ。
<「親切なお隣さんに恵まれているのは、ヴァントゥイユさんだけじゃありませんわ」とセリーヌ叔母が大声を出した。その声は、臆病さゆえに大きくなり、あらかじめ考えていたせりふであるがゆえにわざとらしくなったが、そう言いつつスワンに、本人が言うところの意味ありげなまなざしを投げかけた>(同67㌻)
<「私、お説には同意できませんの。新聞を読むのがじつに嬉しく思える日もずいぶんございますもの」とフローラ叔母が口を挟んだ。「フィガロ」紙に出たスワン所蔵のコローにかんする記事を読んだことを示唆しようとしたのである>(同69㌻)
アスティはイタリア北西部ピエモンテ州のワイン産地で、主にモスカート(マスカット)から造る甘口発泡ワインで知られる。ワイン通がうなるような絶品ではないが、ムスク(麝香)にもたとえられる濃厚な香りを持ち、華やかなイメージがある。こんなお酒を1箱ももらったら、気にくわない人でもちょっと見直したくなる。
では、また。
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