大学とは、冒険の拠点であるべきだ。
採用広報向けのページに、インタビュー記事が掲載されました。
この記事の最後で、ホワイトヘッドが残した言葉に触れました。
ホワイトヘッドという哲学者の本に「大学とは、冒険の拠点であるべきだ」という一節が出てきます。私はデジタルハリウッドを自分が本当にやりたいこと、出掛けざるを得ないような冒険とその仲間を見つけられる拠点にしたいと思っていますし、そういった環境をつくる仕掛け人になることはとても面白いことだと伝えたいです。
また、学校をつくることは終わりのないプロトタイピング(試作)です。これで終わりという完成の状態はなくて、常に今の仮説に基づいてつくってみる、やってみるということの繰り返しです。考え続けること、つくり続けることが好きな人にとっては楽しい会社だと思います。
このことについて、経緯と補足を書きます。
『MBAが会社を滅ぼす』
大学院のマネージャーに就任した2013年に、ミンツバーグ著『MBAが会社を滅ぼす』の中で、
"ホワイトヘッドがかつて「大学とは冒険の拠点であるべきだ」と言った”、という一節を見つけました。
それこそが本学で自分のやるべきことだと激しく思ったことを今でも覚えています。
それ以来、プレゼンやピッチの機会があれば、必ず最後に添えて、話を締めくくるようにしてきました。たとえ聴衆全員が、一度ならず私のプレゼンテーションを見たことがあっても、お約束として、象徴的な写真とともに声に出して言います。
2020年度に大学院の事務局長を仲間に任せて、少し現場との距離感が変わってから、この言葉について改めて考えました。
これだけ唱え続けてきたのだから、引用の引用ではなく、原典まで確認しよう。
そう思い立って、まずミンツバーグの原書を取り寄せて確認しました。
『MANAGERS NOT MBAs』
ここで、
"the universities should be homes of adventure"
とホワイトヘッドは書いたらしい、ということが分かりました。
訳書には記載されていなかった、文献の参照先も確認できました。
引用元は1932年の「Universities and Their Function」のようです。著作集の題名から、その論文が載っていそうなものをピックアップして取り寄せました。
第9巻『教育の目的』に、それは収められていました。
「大学とその機能」
そして、原文を探します。
「Universities and Their Function」
こちらは残念ながら書籍では入手できませんでした。
アメリカの大学の図書館のデータから原書を検索して、下記の文章にたどり着きました。
"...and the universities should be homes of adventure shared in common by young and old."
大学とは
私が探していた文章は、"the universities should be homes of adventure"で終わりではなく、続きがあったのです。
.....shared in common by young and old.
ホワイトヘッド著作集ではこう訳されていました。
教育とは人生の冒険に備えた訓練なのです。研究とは知性の冒険なのです。
そうして、大学とは老若の人ともどもが冒険を分ちあう家庭でなければなりません。
――「大学とその機能」p138
今、私は専門職大学院だけでなく、学部も含めた機関全体の統括を担当しています。必要なときに、必要なことに気づいたのだろうと考えています。準備ができて初めて上げることの出来る(そうなってしまう類の)解像度があるのだなと。
これからも、冒険の拠点について考えていきます。