
明日死ぬとしたら後悔ない生き方をできていますか?
こんにちは。 今回は、私自身への戒めも兼ねて、このタイトルをとある哲学者「ハイデガー」という死を分析した人の言葉に倣って解説をします。
1か月後に死ぬと言われたら
人生を振り返る
まず私は人生を振り返るでしょう。
今まで〇〇してきて楽しかったな。
××は本当に不思議な体験だった
△△はやってみて本当によかった
■■は辛かったな
こう思います。
そして、「今まで人生は自分らしく生きてこれたか?」
最終的に問います。
今すぐしたいことを探す
常日頃から思いますが、現在の私は死ぬとなったとき、
まだ心の底から「〇〇で自分らしい生き方をした」とは
言えません。
でも世の中ではいつ死んでもおかしくない世界です。
交通事故で友人を亡くしています。
病気で祖母や祖父を亡くしています。
自分はバイクが趣味なのでいつ死んでもおかしくないです。
これらの中で、死ぬ寸前に幸福に逝けるように今やっておかなければ死ぬにも死ねないことをさがすでしょう。
無駄なものを捨てる
死ぬと言われたとき。私はまず無駄なものを捨てます。
私の無駄なものは以下の通りです。
会社
自宅(一人暮らしなのでいる意味がない)
健康(どうせ死ぬならどうでもいい)
お金(限度額までクレカを使いまくって楽しみまくるでしょう。)
だって死ぬならどうでもいいですよね?
それくらい、「死」は人間社会においてすべてのしがらみを破壊するほどまでに強力なパワーを持っています。
隠されていた価値観がよみがえる
ではいつ死んでもおかしくない人の生き様を例に挙げてみます。
藤野智哉さん(精神科医)
→現在はブログやSNSで発信し、本まで出版している方です。
幼少期に川崎病という病にかかっており、後遺症で心臓に障害を持っている。
和田秀樹さん(精神科医)
→様々な本を出版しており、精神病の世界に疑問などをたくさん投げかけています。
重度の糖尿病でいつ死ぬかわからないという状態。
故:森永卓郎さん(経済評論家)
→死ぬ直前に「財務省」と「増税」の闇を赤裸々に告白した人。
この人たちにとって「死」は身近であり、だからこそ色々な活動を行っていたのだと考えます。
特に注目して欲しいのは森永卓郎さん。
財務省という政府に対して「どうせもう死ぬんだから」と恐怖も捨て全部ぶちまけた点です。
人間はいつ死んでもおかしくない
このように「死」が身近にいることで、行動自体が変容した例ではないでしょうか。
「ハイデガー」という哲学者自身もいつ死ぬかわからない病気を抱えていたといいます。
死を身近なものとして意識することであらゆるしがらみを破壊し、本当の生き方を目指せる。そう伝えています。
死を意識することで本来したい生き方を探せる
人間は自分の存在意義を自分で問う存在
人間は自分の存在意義を自分で問う存在です。
これは他の生物では考えられないことで、いかに人間が高度な頭脳と心を持っているかを証明している根拠の一つでしょう。
この存在意義=自分由来の生き方をしっかり持っている人こそが幸せになれる世の中だと私は思っています。
逆に絶望し、完全に無気力で生きる意味を失っている人を「末人」と定義した哲学者もいます。(ドイツ哲学者:フリードリヒ・ニーチェ)
それだけ自分の生き方を形作ることは人生において大事なことなのです。
うつ病の希死念慮は自分への問いかけ
私もそうでしたが、「とにかく死んでしまいたい」と思う時期がありました。
そのとき、社会や人間関係すべてに疲弊してしまっていた。すべてから逃れて自由になりたい。楽しくいきたい。
今ならそのようなメッセージを発していたのだと思っています。
心は不器用なので、「ただ死にたい」というシグナルしか送ってきません。しかしそのシグナルを上手に解釈できる頭脳を私たちは持っています。
上手に解釈して上げて、己と向き合い、生きる意味を見つけてください。
それは簡単には見つかりません。しかしだんだんわかってくるはずです。
まとめ
今回は「死」を分析したハイデガーの例をご紹介しました。
私自身もいつ死んでもいいように自分らしく生きることを考え、今後の行動に反映したいと思っています。