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私の履歴書#14 高校教諭時代補足 授業外での生徒との交流が授業を充実させる

(2020年8月7日金曜日)

 前回と前々回で、高校教員時代と短大教員時代のことを振り返ってきた。ただし、特に高校教諭時代について文章校正上書き切れなかった部分があるので、補足記事を追加する。

 あの時代の活動実践を一言で記すならば「動機づけストラテジーを用いた指導実践」となるが、実践の鍵となったのは、実は英語指導とはほぼ関係のない授業外での生徒、学生との様々な課外活動であった。

 私は新潟大学の学部及び大学院、英語教育について多角的に学ばせていただいた。その前提条件として、「英語学習は重要である」という認識があった。当時は中曽根康弘首相の下で「教育の国際化」が推し進められとりわけ英語教育はその柱であった。ALT(英語ネィティブの指導助手)制度が導入されたのもこの頃である。

 しかし、高校教師となり私の前提条件は見事に覆された。目の前の生徒たちの多くは明らかに英語学習を欲してはいなかった。この現実を最初は受け入れることが出来なかったのだと思う。「英語はこれほど大事なのになぜ、彼らが真面目にやらないのか。」と嘆いていた。この時に僕に圧倒的に欠如したのは、「他者の視点」であった。自分が得たちっぽけな知識が、あたかも普遍的事実のように捉え、それに外れる人々を問題視していたことが今ではよくわかる。実は彼らの多くは「英語学習を欲していなかった」のだ。真面目に取り組むはずがない。

 期待価値理論というものがある。その学習に期待を持てるか、その学習に価値を見出しているかが、学習行動を左右するというものである。彼らの多くは英語学習に対してさほど期待もしていなかったし、価値などほぼ見出していなかったのだと思う。それ以上に彼らは“学習性無力感”(失敗経験を重ねる度に自分が無力である言う気持ちを学習し強化されてしまった状態)に満たされていたと考えている。実際彼らの中学時代の成績は低迷しており、高校1年生の英語教科書の難易度は中学校2年生の教科書のレベルだった。

 授業崩壊状態から脱したいと学び始めた“学習動機づけ”だった。そして人の心に関する分野である以上、関わる人の心に「思いを馳せる」ことが求められた。しかし、私は当時その分野の知識が圧倒的に不足していたので、“素人”なりに地道に生徒に接し、何とか彼らの気持ちを理解しようと努力するしか他になかった。

 一年くらいかけて生徒の話を聞き取った結果、私は英語を学ぼうとしない彼らの状態を、“無目標という懲役を与えられた囚人”に例えるようになった。その囚人は、荒野の中地平線まで続くまっすぐな一本道に立たされ、独りぼっち。来る日も来る日もひたすら歩かされる。与えられるのは簡素な食事と睡眠だけ。来る日も来る日も歩き続けるが、ゴールまいつまでたっても見えてこない。古代ギリシア神話の中の挿話であるエフェソスの神話では、罪の償いに大岩を山頂まで一生運び続ける苦行を課される巨人が登場するが、それと同じ気持ちかもしれない。恐らく、“発狂状態”に陥るのではないか。

 彼らの多くは、中学1年後半段階で既に英語の授業内容が訳がわからなくなっていた。とすると、それ以降の2年間は、さっぱりわからないのに50分間、週4時間も“授業”という名の“懲役刑”に付され、訳も分からぬまま“歩かされていた”のだ。

 ゴールも見えないし、成長も実感できないし、意味も感じられない作業。結果点数によって「できない人」と宣告される。その繰り返しはボディーブローのように少しずつ精神に苦痛を与えていく。

 こんな彼らの心を開くために私はありとあらゆる手段をとった。その多くが授業外でのアプローチである。

1.接触の機会を増やす

 ひたすら彼らの見えるところに居続けて、話しをした。昼休み、放課後など少しでも時間があれば生徒たちがたまる場所にいて話した。「立ち話の関」と呼ばれたことさえある。

今だからこそ打ち明けるが、当時この戦略を実行するのに邪魔となったのはバスケットボール部の副顧問であった。毎日練習、週末はすべてリーグ戦。全校生徒のわずか一部に過ぎない部員生徒たちとの交流に限られた時間のほとんどを吸い取られてしまう。バスケットボールは好きであったが、その時の自身の目標に向けては、申し訳ないが“時間の無駄”にしか思えなかった。そこで移籍希望を出して2年目からは山岳部顧問となった。楽ではなかったが、月に一回数日間山を回るだけで、日々の活動は軽減されたために、接触したい生徒たちと接触する時間を確保することができた。

2.山岳部顧問の副産物

山岳部の顧問には予想外のメリットも付属した。改めて言うまでもないことだが、山に登ることはかなりきつい。生徒にとっても僕にとってもだ。頂上まで無事に登ってテントを張る頃には、山岳部と僕の間に妙な一体感が成立していた。山登りの苦楽を分かち合いながら膨大な時間のコミュニケーションを通して、まるで山の濃霧が一気に晴れるように、僕は今まで掴みかねていた生徒の内面を理解するようになった。

 一言で言えば彼らは「いい奴ら」だった。ただ、勉強は嫌いなのはビシビシ伝わってきた。大自然の中で彼らとコミュニケーションを重ねるうちに、勉強が苦手な人の気持ちがわかるようになってきた。もう一つ分かったことは、学校教育の教科は、人間の能力のごく一部しか見ていないということだった。山で共同生活をするためには日常とは異なる様々なスキルを要するが、多くの場面において生徒たちは私より長けていた。例えば、火の起こし方、時間のないときに食事を素早く作る手法などなど。山での活動を通じて、生徒と互いに学び合う視点を見出してからというもの、学校内での生徒たちとのコミュニケーションもみるみる円滑になっていくのが手にとるように実感した。

3.褒める

 彼らがあまり褒められた経験が少ないことに着目した(褒めることは動機づけの基本)。保護者やこれまでの学校生活でも褒められた経験の少なかったのだ。教員なりたての頃の僕は、彼らのやる気のなさを嘆くことは多くても、褒めることを意識していなかった。そこで、戦略的に褒めることにした。僕は表情が怖いと言われていたので、教室に行く前に毎回鏡で笑顔のチェックをした。褒めるためのニコッと笑った顔を確認してから気負いを入れて教室を出る僕は、さながら出陣前に鎧の紐を締め直す武士のようだった。

 ただし、生徒が何もしていないのにやみくもに褒めたわけではない。生徒の努力を褒めることにした。一人一人を呼んでその生徒ができる課題を個別に出して、達成したら惜しみなく褒めた。褒めちぎった。

 毎回全力で褒めていたものの、多くの場合生徒はさほど強い反応を示さなかった。しかし、あるとき褒められた生徒が号泣した。10点満点の英単語で満点を取ったのだ。いきなり泣き出した彼女に困惑したが、「こんなに褒められたのは初めてのことだったからつい」と聞いて、強力な手応えを感じた。

 努力をさせて成果を褒める作業は大変地道なもので、褒めることができるのは多くても1日に3人程度。しかし「学習性無力感は短期間で抜け出せるものではない」と心理学の本で読んだので、根気よく褒め続けた。

 半年経つ頃から彼らは学習行動に変化が見られた。僕が「すごいよ!すごいよ!」攻撃に彼らが“洗脳”されだしたのである。

 それと並行して“英語の大切さ”を、彼らの日常生活や将来に照らして、まるでお経を唱えるように繰り返した。半年も経つ頃にはまるで霊が成仏するかのように、生徒たちも根をあげて「英語が大切だ」と納得し始めた。

 英語で話しているかっこいい姿を見せるために外国人の先生を担当でもないのに呼んできて、僕が英語で会話を行った。また、僕は国際結婚していたので国際結婚の幸せについて語った。さらには英語習得と「頭のよさ」は関係ないことを証明する逸話を話しまくった。英語自体を教えるよりも、このモチベーションを上げるためのトークの時間の方が長かったくらいかもしれない。

4.「あなたたちのためならなんでもやります」オーラ

 とにかく、生徒のためになることであれば何でも全力投球した。例えば体育祭。担任をするクラスの生徒たちは、英語の勉強をしっかりやらなくても体育祭で優勝することには熱意を燃やしていた。その目標に僕は加担し、優勝するための戦略を生徒たちと細かなところまで入念に話し合い、実行した。その結果、作戦が見事功を奏し2位以下の遥かに引き離しての歴史的大圧勝。このような英語教育とは無関係な場所での共同作業が英語学習に良い形で跳ね返ってきた。

5.動機づけの維持

 上記の過程を経て、英語学習に取り組み意欲を喚起することには成功したが、次の問題は「やる気を維持させること」であった。

 勉強を始めたものの、わからなければ、結局前の繰り返しで学習性無力が強化されてしまう。褒める戦略は「動機付けの喚起」に功を奏しても「動機付けの維持」にはそれだけでは不十分。やはり実力をつけてあげなければいけない。

 そこで、褒めながらもかなりの量の授業外課題を課した。手取り足取りの具体的指示が記された課題で、英語が苦手な生徒でも自宅にて一人で取り組めるものを意識した。作るのに相当な時間を費やしたが、“洗脳された”彼らは真剣に食らいついてやってきてくれた。それについて褒めまくった。また、教室内に意見箱を設け、そこに出された意見は生徒が驚くほど派手な形で実現した。僕の“なんでもやりますオーラ”の成果の本領発揮だった。宿題をやってくると必然的にテストの点数も上がる。そして褒められる。出した意見が採用される。生徒たちの学習時間が半端なく増大して良いループが始まった。

6.目に見える成果

 調子にのった僕は「これからの時代、英語の資格は大事だ」「全員受けろ」と叫び続けるようになった(今思い返すとぞっとするが)。

 もちろん受験料もかかるし生徒の中には乗り気でない人たちもいる。そこで用いた動機づけストラテジーは「親を味方につけろ」。学級通信をいきなり起ち上げ、親に直接訴えかけた。学級通信を親に確実に呼んでもらうために、「親に学級通信を渡して印鑑をもらってきて」と強制した(今思い返すとぞっとするが)。そして英語の話題と資格試験の大切さを訴え続けた。

 英検を生徒たちが受ける流れを作ることに成功すると、次になすべきことは成功体験。つまり合格させること。これは僕にとって相当なプレッシャーだった。「絶対に受からせなければいけない」この強い気持ちから始業前時間の早朝補習が始まった。「僕は7時50分に待っているから来たい人は来てね、」誰も来ないのではないかと心配したが、生徒が集まらない日は一度もなかった。

 結果、英検を受けたこともない生徒たちから英検4級~英検2級まで多くの合格者が出た。「高校生が英検4級や3級に受かったから何?」と思う人もいるかもしれないが、「成功体験」の乏しい人にとってはどんな小さなことであれ、認められる経験は大きな自信につながるのだ。

 動機づけ成功例の一部を記したが、実際には数多くの挑戦をしてその多くが失敗に終わったというのが事実である。当時の僕は心理学関連の専門書を読み、「これは使えそう!」と思った理論をとにかく次から次へと試した。サッカーのシュートと同じで、挑戦してもうまくいくのは一部。いくつかはうまくいって、いくつかは全くの的外れで終わった。苦労の末の得点の積み重ねが彼らの学習行動の変容をさせていった。

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