「邪魔と無駄。」
この前、今の自分では理解できないことをし続ければ
新たな道を切り開ける開拓者になりそこにはチャンスしかないから
意味不明に賭けろと投稿した。
今の自分では理解できないもの=過去の知識・経験では判断できないもの
ってことだから意味不明なものに賭けるということは
過去の延長線上を生きるのではなくそれを断ち切り
未来に向かって生きていることになる。
どんな人も
過去には戻れなく、今しかなく、今は未来に向かって生きているんだから
意味不明に賭ける判断は不安に駆られるかもしれないが何も間違ってはいない。
生きているなら当然の判断だ。
じゃあ、意味不明なものって具体的にどういうものか?
一つの判断基準だけど、無駄と思えるかどうかだ。
無駄って今の自分の頭では価値がないと思うことでしょ。
これをやっても何も生まれないと思うものでしょ。
それなら尚更無駄なことをやった方が良いんだよね。
だって、ビジネスでも何でも言えることだけど
新たな価値が生まれる時って
多くの人が無駄だと思ったこと・意味不明なことに賭ける人がいて
それをやり続けた結果、ある日一気にハジけて価値が生まれるんだ。
つまり、最初から新たな価値を生むものかどうかわからないものが新たな価値を生むんだ。
だから、今の自分では無駄と思えちゃうものほど意味不明ってことなんだからそこに賭けたほうがいいんだ。
ただ、無駄を選ぶのは良いんだけど邪魔を選んではいけない。
ここは本当に気をつけないといけない。
自分の中で無駄と邪魔をキチンと言語化して線を引いて区別するべきだ。
自分の中でと書いた通り
俺が邪魔と判断するものが、ある人には無駄と判断し意味不明に賭けようと思うこともあるから無駄と邪魔の判断は人それぞれで良い。
例えば、
俺は基本的に飲み会や誰かと会ってお茶をするとかは邪魔だと思っているわけ。
それに時間とお金を費やすなら本を読んだり映画を観たほうが良いと判断している。
というか、「なんだよお茶って。」と本気で思っている。笑
もちろん、この考えが変わる可能性はあるけど今はこれが俺にとって邪魔と判断しているから飲み会やお茶の誘いは全て断っている。
でも、飲み会やお茶を邪魔じゃなく意味不明なものと判断してめちゃくちゃ行く人もいる。
俺はそんな人を否定はしないしそれで良いと思っている。
だって、飲み会やお茶に行きまくれば色んな人に出会えて
多くの出会いの中から何か良いものが生まれるかも知れないからね。
だからもう一度書くけど、
重要なことは自分の中で無駄とはなにか?邪魔とはなにか?をハッキリさせ区別させることだ。
区別ができたら、
今の自分にとってこれは邪魔だなと思うことはしないこと。
無駄で意味不明なものに賭けるべきだ。
多くの人が無駄とは何か?邪魔とは何か?を言語化して区別しないまま
生きていると思う。
だから、ダラダラ時間を費やしてしまうんだ。
(ダラダラ時間を費やすことが無駄と判断するなら良いと思う。笑)
無駄と邪魔だけじゃなく、今するべきことを言語化できていれば
そんな時間は過ごさないはず。
邪魔は省け。
無駄に賭けろ。
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