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「ちゃんと調べろ。」
今日のブログはこちら!
客観的視点を持つには容赦をしないこと。
具体的に客観的視点とは何かを知りたいなら読んでみて!
では、本題。
映画・「ヴィンセントが教えてくれたこと」を観た。
酒とギャンブルに溺れ借金に苦しむジジイ、ヴィンセント。
性格は偏屈で人当たりが悪く、近隣住民からは敬遠されている。
その隣に引っ越してきたシングルマザーのマギーと、気弱ないじめられっ子気質の息子オリヴァー。
ある時仕事が忙しいマギーの代わりに、ヴィンセントがオリヴァーの面倒を観たことがキッカケで二人に友情が芽生え、オリヴァーはさまざまなことを学んでいく。
というのがザッとしたあらすじ。
よくありがちな心温まる映画なんだけど、久しぶりに泣けた映画だった。
まじで映画で久しぶりに泣いた。笑
俺が泣けたポイントを順を追って書くと、
オリヴァーを競馬場やバーに連れ出していたヴィンセントは、教育に悪すぎるとマギーにキレられ、関係を絶たれてしまう。
そんな中、オリヴァーの学校では「アナタの身近な聖人はどんな人?」これを調べ発表会を行うという課題が出ていた。
その課題に対してオリヴァーはヴィンセントを聖人として発表することに決める。
ただヴィンセントがどんな人生を送ってきたのかを知りたいけど、直接会うことは禁止されている。
そこで彼を知っている人物達から間接的に調べることにした。
↑
ここ!俺はこの「健気に誠実にその人を調べる」という態度にめっちゃ泣けてきたんだよね。
マジで心の底からこれが「調べる」ってことなんだと思ったね。
現代は何かを知りたかったらググれば一瞬で知ることができる。
SNSで検索をかければリアルな声だって一瞬だ。
ただ、それで本当に理解できているのか?
知った気、わかった気でいるだけで自分自身には全然落とし込めていないんじゃないか?
You Tubeの数分の動画で何かを学んだ気でいるヤツだってそう。
その動画を観るだけで終わらせず、もっと自分で深堀って調べなければ知識なんかつかないでしょ。
簡単に知れる現代で、オリヴァーのように「健気に誠実に調べる」ことをできている人がどれくらいいるんだろうか?
ググったり、You Tubeを観るだけで、おそらくほとんどいないだろう。
本当に「調べる」には、どんな資料をあたるべきかを知らないんじゃないかな。
田中泰延さんは著書「読みたいことを、書けばいい」の中で、
調べることは、愛することだ。
自分の感動を探り、根拠を明らかにし、感動に根を張り、枝を生やすために、調べる。
といっていたけどホントそう思う。
調べることは自分を知ることにも繋がるし、調べる対象に対しては愛と敬意しかないんだよね。
だからググったり動画を観るくらいで終わるようじゃ、「調べる」には入らないんだよね。
そして当然、知識もつかない。
本当に知りたかったら、調べるんだよね。
もっと言うと本当に知りたかったら、誠心誠意徹底的に調べるんだよね。
出所が怪しい情報で、満足するわけがないんだよね。
この態度が取れないなら本当に知ることはできないし、自分も本当に知ろうとはしていないってことだ。