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「結局考えないと。」
今日のブログはこちら!
多様性が広がる時代では、「世界は複雑に絡み合っている」と認識を持つことはかなり大切。
ここを理解したかったら読んでみて!
では、本題。
今日は、考えないと書けないからってことについて。
最近は読書と映画のインプット→アウトプットを継続しつつ、それ以外で俺が感じていること・思っていることも書くようにしている。
というのもnote投稿を一年継続してみて、もっと自分が何を感じどう思っているのか?を言葉にして思考を整理したいと思ったからだ。
それをやっていて感じていることは、結局考えていないと書くことはできないよってこと。
今まで「書く」って作業はアウトプットで、そのアウトプットをするためには燃料となるインプットが必要不可欠だから、インプット重視でやってきた。
アウトプットするために・アウトプットを変えるために、これからもインプットは重視していくんだけど、書くにはそれだけじゃダメなんだよね。
自分でしっかりと考えてはじめて書けるようになるんだ。
つまり書くには、【インプット→考える→アウトプット】この流れが必要ってこと。
だからインプットするだけでは書けるようにならないんだよね。
当たり前すぎることかもしれないけど、これを見れば「考える」って作業がどれほど大切かがわかるよね。
しかもこれは「書く」だけの話ではない。
あらゆるアウトプットをする前には、考えるって作業が必要なんだ。
たとえば身体を動かすに前にも考えているし、言葉を発する前にも考えている。
無意識にやっていることでも、無意識に脳は考えている。
だからアウトプットをしよう!アウトプットを変えよう!と思ったら、思考力が必要なんだ。
もっというと、思考力が無ければ、アウトプットはできないし、アウトプットを変えることはできない。
つまり、現実を変えることはできない。
さらに突き詰めると、アウトプットしても現実が変わらない理由は、何も考えていないからってことだ。
そう、どんなにアウトプットしたところで、しっかりと考えなきゃ意味が無いんだよね。
「勉強になります。」「感動しました。」じゃダメなんだよ。
だからポイントは、考えつつインプットするってこと。
【インプット→考える→アウトプット】
とは書いたものの、インプットが終わったら考えるじゃダメ、考えるのが終わったらアウトプットじゃダメだ。
インプットしつつ考える、アウトプットしつつ考えるじゃないとね。
・今インプットしているものをどう発展させるか?
・今アウトプットしているものをどうブラッシュアップしていくか?
やりつつ考えるんだ。
残念ながらnoteを一年継続したものの、思考力がついたとは思えない。
書けば書くほど、読めば読むほど、自分の思考力の無さ、自分のバカさに愕然とする。というか、ムカついてくる。笑
今日のこの投稿も、思考の整理のために書いてはいるけど、思考力がないバカだから全然書けていない。
考えて出すってより、無理矢理吐き出しているって感じだ。笑
まとまりがないけど、つまり考えないとアウトプットはできないし、現実は変わらないよってこと。