「どれだけ居場所を知ってるか?」
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”何に人生を賭けるのか?”を明確にすれば、美学や在り方につながる。
ここを理解したかったら読んでみて!
では、本題。
映画・「サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所」を観た。
主人公はニューヨーク・ブロンクスに住む青年・ユリシーズ。
彼は母親やオバに注意されるも、父親の死をキッカケに「美しくなりたい」という思いを抑えられずにいた。
そんなある夜、街で出会ったトランスジェンダーのグループに「サタデーナイト・チャーチ」に誘われる。
そこは静かで厳格な昼間の教会とは異なり、ダンスや音楽を楽しみながら、同じ境遇の仲間と語らう場として開放されていた。
彼はそこで少しずつ自分を解放してゆくが、ある日隠していたハイヒールが家族に見つかってしまい、、、
というのがあらすじの、多様性が広がった現代らしい題材の映画。
この映画を観て、改めて「自分の正しさ」と「他人の正しさ」は違うんだと感じた。
そして、「自分の正しさ」を他人に強要することはクソだとも。
それは性別に悩む主人公と、周りと違うことを良しとしないオバを観るとわかる。
主人公は性別に悩みながら、隠れて母親のストッキングを履いたり、ハイヒール買って履いてみたりしていたけど、これって別に少数派なだけで犯罪でもなければ「悪」ではないよね。
でもオバは、そんな周りと違う少数派のことを「悪」とみなして主人公を痛めつける。
まさに「自分の正しさ」を他人に強要したクソ行為だ。
おそらくこの映画を観れば、多くの人が「自分の正しさ」を強要するオバに対して胸糞悪いと感じると思うけど、
自分はどうなのか?はしっかりと客観視しないといけないよ。
SNSをはじめとした情報発信なんて、ある意味「自分の正しさ」を撒き散らす行為なんだからね。笑
「俺はこう思う!」って発信するのは良いけど、「お前は違う!俺が正しい!」的な発言はまさにこの映画のムナクソババアだってことは忘れないように。
「自分の正しさ」と「他人の正しさ」は違うんだよ。
だから「どっちでもいい」っていう懐の深さを持つことが大切なんだ。
それにこの映画を感じたことでもう一つ。
(長くなったけど、こっちが書きたかった笑)
それは、人生においてどれだけ居場所を知っているか?は超重要だってこと。
全然知らなかったんだけど、「サタデーナイト・チャーチ(土曜の夜の教会)」って本当にあるんだよね。
映画と同じように、LGBTの人々のための支援プログラムとして教会を開放して行われるらしい。
この事実を知ると、やっぱり多様性が広がるって良いことだよなと思う。
少数派でどこか生きづらいと感じている人たちにも「居場所」が作られているからね。
つまり現代は多様性が広がったことで、いろんな人に対して「居場所」がある、もしくは作られ始めているんだ。
(充実度は差があるけど。)
だから、どれだけ居場所を知っているか?が超重要なんだよね。
たとえば、住む居場所、お金を稼ぐ居場所、自分を解放できる居場所だってそう。
大切なことは、居場所はたくさんあるんだから、今の居場所にこだわる必要はないってことだ。
「今の居場所に居つづけなきゃいけない」なんて正しさを持つ必要はないし、それを強要されたら疑問に持とう。
置かれた場所で咲けなきゃ次にいこう。