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イタリアの叔父は最後まで陽気な人でした

叔父さんは、超がつくほどの陽気。

奥さんを早くに亡くし、娘三人に見守られながら暮らしていました。

いつも明るい父親に対し、娘たちからは逆に冷たい視線。

冗談ばかりで真面目が少なかったのは確か。

端から見ると、面白いという感情しか抱きません。

夫は、叔父から見ると妹の息子。

これがまた、そっくりなのです。

返事の仕方が、ユーモアに富んでいます。

例えば、

「このメロン美味しいね?どこで買ったの?」

「すぐそこの、薬局!」

文字にするとそうでもないですが、笑みが生まれる会話です。

これは、まさに叔父譲り。

ですが、これは序の口なのです。


愉快な叔父のエピソード

泥棒と間違われる

叔父は、誰にでも平気で声をかけます。

街で困っている人がいたらなおさら。

かつて、「泥棒ー!」と言われたことがありました。


買い物を終えたご婦人が歩いていました。

大きな袋を持っていたので、手助けようとしたのです。

すると、勘違いさたとのこと。

驚くのは当然、いや、正当な反応です。

叔父は、「重そうだら持ってあげるよ!」と。

いつもシャツを着て、身なりはキレイだったので、

誰も泥棒だとは思いません。

ですがご婦人は、咄嗟のことに驚いたことと思います。


人様のものを捨てる

買い物袋ならまだ分かります。

叔父の親切心は、それだけではないんです。

ゴミ袋を持って歩いている人に声をかけて、

「僕が捨ててあげるょ。ちょうだい!」と。

自転車のカゴに入れて、街角の収集箱まで持って行きます。

これは、一度や二度ではないんです。

どれだけの人を助けた?んでしょう。

不思議がられたはずです。 

シリアスな場面で

何年も前の話。

叔父らのお兄さんが緊急入院したことがありました。

お見舞いのために、親戚は病院へ駆けつけました。

みんな心配して、不安な表情で居た堪れない様子。

一方で、弟である叔父は、冗談やおちゃらけです。

看護師の娘は、いちいち叱ります。

それを言われた叔父はというと、

「僕は人を怒ったことがな〜い。僕はいつもこうだよ〜」と。

叔父なりに、みんなを励まそうとしたんだと思います。

もしくは、しんみりとした状況が好きじゃないか。

そんな姿は、明るくて息抜きになる存在でした。

歌が聴こえたら…

叔父はいつも自転車で出かけていました。

街で見かけると、イタリア語で叔父「zio: ズィオ」と呼びます。

イタリアでは声をかけられると、

「オゥ!」や「エイ!」などと返事をします。



叔父は違うんです。

「パラパッ、パラパッ、パラパッ…」と歌うんです!


ある時は、黙って近づいて後ろから、

「パッパラッパラ〜」なんて言うと、

「パラッパラッパー」というように反応します。



またある時は、通り過ぎたら叔父だった。ということも。

目の前を過ぎ去った人が、パラパッと歌っていたので、

間違いないと後で気づくんです。

昨年、コロナに罹患したけれど、娘の看病あって復活。

一度は元気に、街をウロウロしていましたが急変。

徐々に体力が落ちて、食事も喉を通りませんでした。

娘は看護師であることから、最善を尽くしてきました。

ですが先日、92歳でこの世を去りました。

おそらく、老衰ということになるのでしょう。




一夜明けて駆けつけました。

家で看病され、眠るように息を引き取ったとか。

その表情はまさに「微笑み」だったのです。

最後まで笑顔でいられるって、なかなかないと思います。

叔父は、最後まで…、いや、亡くなった後もずっと、
 
陽気な人」だったと語り継がれていくのです。

R.I.P
Ti vogliontanto bene.
Grazie tanto ZIO!!

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