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【イタリア】ベルルスコーニ死去2日後の国葬と崇めスポット

6月12日のイタリア元首相の訃報は、
瞬く間にイタリアを揺らしました。

直後のインスタでニュースに対するコメントを見ていると、
大半が感謝、嘆きを表しているのに対し、
残酷にも、やれやれと言う人も少なくありませんでした。

半径5mにいるイタリア人に質問しても、同じような状況です。
しかし、あまり好きじゃなかったからといって、
死を喜ぶべきではないし、笑ってはいけない。
という声ももちろんありました。


テレビをつけると、ベルルスコーニが創設した局やその系列は
こぞって賞賛するスポットを出しています。
CMに換算すると何千万円ほどの額になるでしょう。

ちなみにこのようなものです。

親愛なる我らの父
人生を捧げてくれてありがとう
愛情をありがとう
常に私たちの中に生き続けることでしょう


イタリアの法律では、元首相は国葬を執り行うことが義務のようです。
反対する意見がそもそもない。国家の行事となっています。

義務でなくても、通算9年余りの任務や政治家としてのあゆみ、
実業家としての功績など、国葬を行うに値する人物だったとは思います。


何より驚いたのが、亡くなった直後に執り行われたこと。

わずか2日後

ですよ。


エリザベス女王の時は11日後、
安倍元首相は2ヶ月後でした。
もちろん、突然のことで何も準備はしていなかったはず。
最短でもこのくらい準備が必要だったことが分かります。

ベルルスコーニの場合


入退院を繰り返していたこともあり、
各メディアでは「Xデー」に向けて予め素材を作っていたことでしょう。

このあたりのことは、かつて勤めていた局の先輩から
ある人物のXデーについて訊いたことがありました。

だから、上記のスポットも事前に作っていたはずです。


壮大な国葬

出身地であるミラノのドゥオーモ: 大聖堂で行われました。


祭殿に向かって右側に親族、左側には大統領や首相など
政治家を最前列に、関係があった著名人など2000人が参列しました。

この模様は生中継が行われました。
私は式が始まる前の、霊柩車が移動する空撮の映像から見ました。


街の中を走り抜ける車両の列は、道路を封鎖し、
両側には見守る人や拍手を送る人々がいました。

そして、大聖堂前の広場には、応援者や会長を勤めたACミランのサポーターら
およそ15000人もが駆けつけたようです。

日本政府からは、岸田総理大臣の特使として、
日本・イタリア友好議員連盟の会長を務める
自民党の甘利前幹事長が参列したようです。


大規模な国葬は、計算され尽くされていました。

大聖堂でもどのような流れになるのか、見せ方、
捧げる歌、座席表など全ての段取りが細かく時間配分されていたはず。

さらに、警備する警察やイタリア軍ももちろん、市役所も全てが
Xデーのために完璧な想定をしていたことが伺えました。

もしかすると、メディア王であるベルルスコーニは、
自分の葬儀をプロデュースしていた可能性も…
あるかもしれません。

2日後に、何があろうと執り行う実行力。
そう考えると、悲しみと衝撃に揺らぐイタリアを
厳かな雰囲気を持って、一点に集中させた…

ベルルスコーニの策略だったのかも。と思える。

いやいや、これで終わりではないかもしれない。
先を見据えたプロジェクトがありそう。
さらなる他局の買収やベルルスコーニ記念館設立なんて
死後もイメージアップに繋げる計画があってもおかしくない。

あくまでも現時点の予想です。
今後、変化がありましたら追記します。

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