棚からボタッ100万円!20年越しの夢に散財しても悔いなし
28歳の時に10年働いたラジオ制作のを潔く辞めました。
「自分探し・30歳を前に!」なんて考えはありません。
私が突き動かされたのは、
棚から100万円が落ちてきたからです。
いつも通り棚を開けて、何かを探していた時のこと。
ボタッと、降ってくるように落ちてきたのです。
帯のついた札束ではなく、銀行の通帳。
何の通帳だったけ…と、中を見てみると
1,000,000
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん…ひゃッ⁈
突然のことに理解ができませんでした。
名義は自分のもので、自ら作った口座でした。
はて?
寝ようとしていた母親にこっそり話をかける。
「ねぇ、100万円が落ちてきた…」
母は、「それで好きなところ行けるね!」と、即座に返答しました。
続けて母は言うのです。
「ほらね言った通り!100万円、口座分けておいて良かったね!」と。
実家暮らしで、仕事は深夜まで夢中で働き、家には寝に帰るくらい。
無駄遣いはあまりせず、休日は彼氏とデートでほとんど出してくれる。
ぬくぬくと育ってきた私と私の通帳は膨らむ一方でした。
かつて母は、
「通帳の額が100万円を超えたら、新たな口座に移した方がいいよ。
盗まれたり、使っちゃうといけないから。いざという時に役立つよ」と。
そう言われて、分けておいたようなんですが、
そんなことは記憶の中から消えていました。
事故寸前
ちょうどこの直前に、仕事中に高速道路で交通事故に遭いそうになりました。
誰も傷つかずに未然に防げたのですが、衝撃は残ったまま。
上司らと話し合い、取材の方法を改めることにしました。
しかしその後は、自問自答を繰り返しました。
本当はやりたいことがあるんじゃない?海外旅行だけで気が済むの?
何かに縛られているのでは…などと考えていた時に
忘れていた100万円が出てきたんです。
偶然。いや、必然としか言いようがありません。
答えは一つ。
海外へ行くしかない!
これまで、県外だからと外国語大学には通わせてもらえず、
地元の短大時代では、SARS: 感染症が流行し
オーストラリア留学を断念。
就職しても海外旅行へは、3年は我慢するように言われていました。
(今となってはパワハラですが、会社の裏約束。
3年以降、ハワイとニューヨークへ行きました。)
しかし、このまま地元で一生過ごすのかと思うと、恐怖心しかありませんでした。
このままで人生は終われない…
仕事も彼も全てをなげうって、夢だった海外へ行こう!
どの国にしようかな
専攻だった英語を伸ばすためにアメリカを一番に考えました。
刺激的だったニューヨークに住んでみたい!
英語なら、ロンドンもいいな。でも曇りがち…
学生の頃に虜になったイタリアもいいかも。
魅惑的な文化と言語はいつ聴いてもうっとり。
でも、英語とは関係なくなるし、イタリアでしか言葉が通じない…
フランスの雰囲気が大好きなので、パリ留学も憧れるー!
いろんな選択肢に胸を膨らませながら考えていた時、
ドイツに住む小学校からの友人の言葉が背中を押しました。
「イタリアがいいじゃん!気候いいし、美味しいし、陽気だし!」
彼女は小学生の頃からマドンナ的存在で、スタイルと学力は抜群、
英語も話せたし、海外にも毎年通っていました。
やっぱり?
「ボンジュール」な洗練されたオシャレより、
「ボンジョルノ!」の爽快な方が性分に合ってる。
高校生の頃、とりつかれるように夢中になった
イタリアに行くべきだ!と20年ぶりに目が覚めました。
不安よりも、希望が勝って輝いていました。
イタリア行きの片道切符
そこから、留学先であるイタリア語学学校を探しました。
ただ、語学を学ぶだけではなく、インターンシップができる学校を発見。
そこで選んだのがフィレンツェの私立学校。
あえて名前は伏せます。お勧めできないので。
学校は、日本人が経営していて、膨大な授業料と手数料がかかりました。
未だに詐欺だなと思いますが、見極められなかったからしゃーない。
棚から落ちてきた100万円もあっという間に消えていきましたが、
それがあったから気にならずに済みました。
半年間のイタリア語の授業と、半年間のラジオでのインターンシップ。
初めて地元から、親から離れた真新しい生活。
見るもの全てが違い、どれもが興味深い。
なんと言っても、芸術の都フィレンツェの中心地は、
宝箱の中にいるようで、歴史と美術に囲まれ圧巻。
大聖堂やヴェッキオ橋は毎日見ても、胸の高まりは変わることはありませんでした。
これこれ、私がやりたかったこと!
生活を一転させたことで、語学を学べたことはもちろん、
暮らしぶりの違いや日本と似ている点、思考の特徴、日本に対する印象など、
吸収することが追いつかないくらいに毎日。
フィレンツェで体験した初めての一人暮らしは、
自由で快適。地元の友だちも増えてきい、朝から夜まで充実していました。
あの時、思い切って仕事を辞めて良かったと本当に思います。
私は「後悔」をしません。自己否定していると感じるから、
あえて、考えないようにしています。
どの決断も間違っていなかったと。
その後、年の離れたイタリア人と結婚し、子どもがいなくても、
外国人としてイタリア社会でもがいていても、
両親のそばに居れず、寂しい思いをするけど元気だからまだいっか。
貯金が僅かで、裕福な暮らしになっていなくても、
これで良かったんだと思っています。
今、自分が幸せを感じていて、心躍る選択ができればそれでいい!
そろそろ転職をしようかなと考えています。
給料が下がるか、同僚に恵まれるか、仕事は大変かなと、
妄想は増え続けるばかりですが、暮らしが変わることは励みにもなる。
この先、「現時点」を振り返った時に、良い転機だったと必ず思うに違いない。
今振り返った、「イタリア行きを前向きに決めた時」のように…