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へちまの大選択。
どうもこんにちわ。社畜のワイです。
今回もnoteのコンテストに参加しようと思います。テーマは「 #あの選択をしたから 」。
noteってなんでこうもへちまにピッタリなテーマを毎回用意してくるんだろうなw
私の愛猫、へちまは1996年に生を受けてから2022年に猫生を全うするまでの
25年間、たくさんの人に愛された長生き猫だった。
そんなへちまが長生きできたのは、間違いなく獣医のK先生のおかげだった。
今回はそんなテーマで書いていきたい。
■してよかった選択その1)セカンドオピニオン
へちまは17歳の頃に「甲状腺機能亢進症」と診断された。
詳しくはこちらを読んでほしい。
めっちゃ簡単に言うと、甲状腺機能亢進症はリンパあたりにあるホルモンが
過剰分泌し、平常時でも体の内側では常に全力疾走しているような病気だ。
そのため、元気で活発、ご飯もモリモリ食べるのに痩せていくというもので
15-16歳くらいの猫が腎臓病に次いでかかる病気でもある。
へちまも例にもれず、17歳頃にいきなりご飯を食べなくなってしまった。
へちまはK先生にお世話になる前に別の獣医さんに診てもらっていたのだが、
その獣医さんではへちまのことを「甲状腺機能亢進症」とは診断せず、
単に「歯石が溜まりすぎて歯が痛いから食欲がないんでしょう」というハナホジレベルの診断を下したが、結果からするとそうではなかった。
そしてご飯を食べないだけでなく、見たこともないような痙攣を起こして
夜間救急で診療をしてくれる病院に駆け込んだが、そこでも「甲状腺機能亢進症」を疑われることはなかった。
掛かりつけの獣医さんでは「歯石を取るなら全身麻酔が必須になるが、17歳の子の子にはそれに耐えきれる体力が残っていないと思う。」
と、↑こんな書き方だとまだ聞こえはいいが、実際には先生はそれまでとは人が変わったように
「それで死なれちまうとめんどくせぇんだよなぁ。うちではやりたくねぇなぁ。」
という雰囲気がムンムンであり、とにかく「全身麻酔をしたら多分死ぬ」的なことを強調した。
私は落胆したが、その時に意外な一言をくれたのはへちまをわが子のようにかわいがっていた当時の夫だった。(※ちなみに今も仲いいっすw)
「命を救うはずの獣医が、死ぬことを前提にしか話をしないのはおかしい」
と言ったのだ。
そして私はその一言に突き動かされ、たまたま見つけた病院でセカンドオピニオンを頼んだのがK先生だった。
「この状況でまず先に甲状腺機能亢進症を疑わなければいけないのにありえない!」
と、それまでの掛かりつけ獣医さんにも、夜間救急の獣医さんにもK先生は憤慨していた。
その後へちまはK先生の病院で甲状腺機能亢進症の治療を始め、
みるみるうちに元気になり、22歳まで元気に猫生を駆け抜けたんだよね。
その時には「セカンドオピニオン」なんて言葉は知らなかった。
普通の人だったら、掛かりつけの医者に「こうです」って言われたらそれを信じちゃうよね。
そういう人もたくさんいると思うんだ。
でもあの時にそれをまず疑ってかかってくれた当時の旦那には本当に感謝している。
私よりもずっとへちまのことを考え、広い視野で物事を見てくれていたってことだから。
そして、K先生の言葉を信じて任せて転院して本当によかった。
このセカンドオピニオンが、17歳で猫生が終わるはずだったへちまの第二の猫生のスタートと言ってもおかしくはなかったよ。
■してよかった選択その2)手術
K先生の考え方が私と似ていたこともありがたかった。
K先生は常に最悪の状況を想定してそこから症状のレベルを落としていく
逆オークション形式の説明をしてくれたw
例えば下痢が続いた時には「FIPの疑いもある」から始まり、
その間に「これこれの可能性も」「これこれかもしれない」と
症状が軽くなっていき、最終的に「ただの一過性の下痢の可能性も」
という感じで話してくれる。
結果的にそれがただの下痢だった場合には「大袈裟に騒ぎ立てるんじゃねぇよ」
と思う人もいるかもしれないが、
最初から「こりゃだだの下痢っすね」と言っておきながら後日「FIPでしたメンゴ☆彡」
とか言われるよりよっぽどいい。
このように、私も何かとK先生のように、何かまずそうなことが起きるときには最悪の想定を最初に考えてから行動する。
よく考えすぎて「そういうことは実際に起こってから考えなよ」と言われることもあるが、
猫のことに関しては経済的にもそんな悠長なことは言っていられない。
最悪の場合借金も覚悟するし長期で仕事が休めるかなども頭に入れて
行動しなければならないのだ。
話が脱線してしまったが、2019年頃と2020年に、へちまは目のイボの
手術を受けた。
2019年時点でへちまは既に23歳と超高齢。
2020年に再発して手術を受けた時には24歳になっていた。
手術にあたってはやはり全身麻酔が必要となり、そこでも
「全身麻酔の際にいきて目覚めないかもしれない」という説明は当然あった。
6年前に17歳だった時のへちまとはわけが違うのだ。
先生とは仕事の合間に電話で何度も話し合った。
しかし先生は「麻酔から目覚めない可能性もある。だが、へちまさんは
23歳にしては体力もあり、元気。
身体に大きな障害があるわけでもない今であれば、回復する可能性も高い。」
と、K先生自身が決断を後押ししてくれたのだ。
甲状腺機能亢進症をロクに診もせずにただの「歯石の溜まりすぎ」と誤診したクソヤブ獣医とは大違いである。
私はその先生の言葉に勇気づけられ、またへちまのとんでもない生命力を信じて大きな手術を決行するという決断ができた。
手術当日、先生は「緊張して眠れなかった」と言っていた。
それを聞いて私は「この選択をしてよかった。この手術は絶対に
成功する。へちまは絶対に大丈夫だ。」
と手術前から謎の確信を持っていた。
案の定、へちまは復活し、その後2年弱生き続けた。
![](https://assets.st-note.com/img/1693219679806-sCbnR6oeQf.jpg?width=1200)
■やった後悔より、やらなかった後悔の方が大きい(と思う)。
へちまに関しての大きな選択は、今振り返ってみて初めて
謎に「大丈夫、K先生に任せればうまくいく」という謎の自信
という後ろ盾があった。
私には「転院をしない」という選択肢はそもそもなかったし、
「手術をしない」という選択肢もなかったのだ。
それはK先生が心の底からすべての動物たちを救いたいと
思っている熱意が、K先生の言葉に込められていたからであろう。
K先生はいつも怖い顔をしていた。
怖い顔をしているということはそれだけ真剣になにかを考えている
ということなのだから。
よく、「猫の治療のことで悩んでいます。つらい治療を続けさせるのか、
このまま穏やかに余生を過ごさせた方がいいのか…」
という永遠に答えの見つからない相談をいただくことがある。
だが、そんな時には私は決まって
「すまん、私はただへちまと一緒にいたいという気持ちでしか
動いていなかったからその辺の意見はあまり参考にならんかもしれん」
というお断りを入れている。
このnoteを書くまで、そんなことを考えたこともなかったが、
もしかしたらK先生や家族、フォロワーという強力な
仲間たちがいたことと、生命力みなぎるへちま自身の強さがあって、
無意識に「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」
と思っていたからかもしれない。
■言葉の力
私はいつだってK先生の言葉を信じて、よい選択ができたと思う。
K先生の言葉があって、あの選択をしたから、へちまは25歳と10か月
という長い長い猫生を元気に過ごすことができた。
K先生の言葉にはいつだって底知れぬ説得力があり、
目に見えないパワーみたいなものがあった。
それはK先生が小さな猫一匹に真剣に向き合って、
あらゆる角度からあらゆる可能性を考えて、
全力投球でへちまの治療をしてくれたからだと思う。
真剣な人の言葉には大きな選択を決断させる
強い説得力のようなものがある。
私はそんな信頼できる名医に出会えて本当にラッキーだった。
K先生はいつも怖い顔だったが、診察が終わってへちまが帰る時には
静かな笑顔でへちまの頭を撫でてくれた。
へちまを抱きしめた時のぬくもりと共に、私はその笑顔を忘れない。
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