トップ・ガン マーヴェリックの組織論
映画トップ・ガンマーヴェリックを観て男泣きしてしまった。冷静に振り返るとコテコテAmericanな映画なんだけど、これほど熱く震える映画があっただろうか。見終わってから数日後、ボンヤリ空を見上げていたとき「そうだ!この映画の組織論を書き残しておこう」と思った。降りてきたんだ。
「コスパ優先」や「なにかあったらどうすんだ症候群」に囲まれて苦しんでるあなたへ捧げたい。そして、もしあなたがシゴトに追われて眉間にシワを寄せてたら、指で撫でてシワを伸ばしてから楽しんでもらえたら嬉しいです。
※本コラムにはネタバレが含まれます。映画未鑑賞の方はご注意ください。
トップ・ガン マーヴェリックとは・・・
1986年『トップガン』36年振りの続編。監督ジョセフ・コシンスキー。パラマウント・ピクチャーズ製作・配給。2022年5月27日から劇場公開。6月6日時点で国内・興行収入30億円突破。世界で700億円を超えており北米ではすでにトム・クルーズの映画として過去最高の売上を記録している。
1:マーベリックはなぜ大佐から昇進しなかったのか?
ハンマー・海軍少将(エド・ハリス)無人機・推進論者
「軍歴30余年。勲章多数。ここ40年で3機撃墜した唯一の男。昇進を拒み。退役もせず。普通なら少将になってもよい頃だ。なのにお前は大佐のまま今ココにいる。なぜだ。。。」
(更迭しようと思ってたら上官から異動命令が来て仕方ない感大)
マーヴェリック大佐(トム・クルーズ)マッハ10に挑戦するパイロット
「私の人生の謎の一つですね」
(上司の嫌味に対してメチャ茶化してる)
▼予告編より▼
ちなみに軍隊の大佐とは「連隊長」や「艦長」クラスのことで、戦略レベルで最小単位のトップです。乱暴に会社で例えると部長クラス。現場の責任者といった感じでしょうか。
前作トップ・ガン製作から34年。マーヴェリック大佐も当時中尉だったことを考えると60歳くらいになってる感じ。会社員ならもう定年ですよ。長年経験を積んでいるだけに若者には及ばない知恵や技能があるんだから「自分の能力は現場でしか発揮できない」ってわかってると思う。つまり「ピーターの法則」を知ってたのではないかと。
人は自己能力の限界まで出世する
無能な人はそのポジションに留まり、有能な人は限界まで出世するがそのポジションで無能化する
組織はまだ限界に達していない人たちによって進められて組織無能になっていく。
これは大企業でよく見かける景色だけど、そうやって無能な管理職が各地位を占めるようになり徐々に組織全体が無能化していく。大きな声では言えないけど(書いてるけど)前職の会社もそうだった。
では昇進に反した動きで有名な人物と言えば。。。青色レーザーでノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏ではないだろうか。主幹研究員(部長待遇の研究者)としてマネジメント職への昇進を望まなかったらしいけど、その日亜化学工業と裁判を起こすなど、色んな意味で破天荒であることは間違いない。
多くの組織人の場合は階層の昇進と給与アップはセットであり昇進しないためには「強い意志」を持たなきゃ到底無理。だから上司の言うことは絶対の軍隊において無茶苦茶だらけの破天荒なオッさんが描かれているのは「軍隊のような巨大組織にも異能が必要」ってメッセージだと思う。
そして彼には「創造的な無能」を突き通す「何か」があった。その「何か」がなんだかわかりますか?僕にはわかります。ま。それは後述するのでさておき、ピーターの法則の「創造的・無能」はどのようなものか?そのあたりを書かないと「再現性ガガガー!」とか「解像度ガガガー!」というヒトもいるかもなので(そう思った時点でセンスが無いと思うけど)下記に続けたいと思います。長いけどもう少々お付き合いください。
2:なぜ上官から疎まれるのか?
サイクロン・海軍中将(ジョン・ハム)
「他に候補者はいた。君を招くことには反対だが、私の尊敬するアイスマン大将から直々の命令だ。君に最後の任務を託すとのことだ。。俺には疑問だがな。。」
(しょうがない。渋々なんだよ)
▼
マーヴェリック大佐(トム・クルーズ)
「教官ってガラじゃないですけど、ご期待には応えます」
(ちょっと照れるけど俺ってまんざらでもないでしょエッヘン)
▼
ウォーロック海軍少将(チャールズ・パーネル)
「招いたんじゃない。これは命令だ」
(勘違いするなよ。ちょっとニヤリ)
※ノースアイランド海軍航空基地のトップ・ガン・スクールの責任者でマーベリック大佐の上官との会話には「アイスマン大将からの鶴の一声」に対して嫌味なやりとりが交わされます。なおこの2人・中将も少将もトップ・ガン卒業生で超エリート。で。そのあたりに鍵がある。
▼予告編より▼
ここで重要なのは、サイクロン・海軍中将(ジョン・ハム)はマーヴェリック大佐をまったく評価していないのだけど、ウォーロック海軍少将(チャールズ・パーネル)の方は、彼の腕前を評価していて呼ばれた理由を暗黙知で理解している節がある点。
超エリートには「人格」や「たち振る舞い」も重要な評価要素だから「破天荒」は評価に値しない。もちろん超エリートなんだけど、その凄いヒトたちでさえ組織無能はヒタヒタと蔓延してる。
上官の手前ウォーロック海軍少将(チャールズ・パーネル)は手厳し目に「招聘ではない命令だぞ」って言うんだけど、そこには超エリートならではの工夫された台詞なんだと思う。
この辺は解説が重要になるところで、単なるエリート意識バカが「鶴の一声」に感情を逆立てているのではなくて、マーベリック大佐の暗黙知(非・形式知)に対してのスタンスの違いなのだ。つまり海軍という巨大組織の問題点を炙りだしている。
暗黙知(非・形式知)に対しての考えは非常に重要で、「なんだかハッキリとわかんないけど、なんとなく大事だと思う」ってのをどう扱うかで、その組織の将来に大きな違いが出る。だから超エリートや優秀なヒトほど異能という異分子が組織に入ると本能的にイラッとするんだ。
ボクのシゴトにはこの辺の「目に見えない部分」ってのも含まれているからよく解るんだけど「再現性ガガガー!」とか「解像度ガガガー!」と言うヒトほど権威に弱かったり、決定的に欠けている「何か」がある。それは単刀直入に言うと「センス」だ。美意識とか哲学と言い換えてもいいかもしれない。しかしコレは天才のことを秀才が理解できないって無理難題ではない。
これは世間でよく聞く寄り添うなんて甘っちょろいレベルじゃなくて、生きて帰還するために曲げられない部分。信念と同義だと思う。「じゃあどうするんだよ?」って言う「再現性ガガガー!」な方へ応えたいので、もう少々おつきあいください。ごめん🙇
3:なぜアイスマン大将は彼を教官に選んだのか?
アイスマン大将(ヴァル・キルマー)艦隊司令官・元トップ・ガン同僚。
「若いやつらも、海軍も、君を必要としている」
「だから君はいまココにいる」
(元同僚のアイスマン大将の邸宅へ呼ばれるマーヴェリック。病に侵されて声が出ないけどアイスマン大将は声を絞り出す。)
※2人の会話はコトバ少ない。語らずしても解りあえる「何か」がある。それは暗黙知と言わずして何なんだろうか。
アイスマン大将とマーヴェリック大佐はスマホで直接にメッセージをやりとりできる元同僚なワケだけど、そういう直ルートがあるって意味じゃないのよ。そこは勘違いしないで欲しい。
前述の「鶴の一声」が部下から見える景色だとすると、艦隊司令官から見える景色は「組織無能」という状態。これを解決するには(メチャ困難だって理解してるけど)「戦友」しかいない。ということを映画は語りかけている気がした。これはハックもできないし、見える化も難しい。だから映画って物語で表現してる意味がある。
映画に描かれている「人生の困難なこと」について、スタートアップ経営者ならよく読まれてるシリコンバレーじゃ超有名なベン ホロウィッツ (著)の「ハードシングス・答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか」って本にも書かれている。
ドラマ「踊る大捜査線」で主人公・織田裕二演ずる青島刑事と、上司で警察庁キャリアの室井警視との関係でも表されている。コレはもう古くなっちゃたケーススタディだけど「事件は会議室で起きてるんじゃないんだ!現場で起きているんだ!室井さん指示を!」というのは組織無能に対して現場からの悲鳴である。その声さえ絶滅危惧種となってしまったのが令和の日本だとすると(絶滅したとは言ってない)最後に「両輪の輪っか」はどこから生まれるのか書き残しておきたい。すでにココまでで6000字超えてるごめん。もうちょい付き合ってほしい。
4:その勇気と希望はどこから生まれるのか?
・そのチカラ強さは仲間を救う(敬う)ことから始まる
この映画は軍隊という巨大組織における愛と友情と挫折と家族と仲間を描いたスポ根物語だと思うんだけど、不可能に挑戦する理由は「仲間の命を救う」ってところを起点にしている。
映画の中でビーチで筋肉隆々なアメフトをするシーンがある。前作でも象徴的な場面だ。
ここで、サイクロン・海軍中将(ジョン・ハム)はマーヴェリック大佐に「一日も無駄にできないのにナニやってんだ」と言うけど、マーヴェリック大佐は「おっしゃる通りチームの絆を固めてます」とサラッと受け流す。上官の苦言など意にも介さない。この勇気は「自分の信じる道を貫く内向きのチカラ」から生じている。もし同じことが起きたら同じ態度を取れるか?なかなか難しいと思う。
・レジェンド・語り継がれるとは何か?
この映画が凄いのは、マーヴェリック大佐と実物のトム・クルーズの映画への意気込みが重なる点にある。図解にするとこんな感じ。
これを会社に置き換えると、組織人と個人の思いが重なると深い感動が生まれる。ヒトの気持ちを動かすには「行動」が大事。そして行動から相手の行動変容を生み出すのが人間のチカラである。AIにはできない。そして勇気がないと始まらない。
この関係性が築けるからマーヴェリック大佐はレジェンド足りうるし「語り継がれる」逸話(物語)になる。組織無能をどうにかできるのは「ちょっとした勇気」からはじまる。
そして映画の最後に「監督・トニー・スコットに捧げる」でエンドロールが終わるんだけど泣いた。泣くなオトコだろ!って思ったけど泣いた。トムクルーズの勇気と覚悟。これがこの映画の迫力なんだと。すべてはそこから始まるのだと。
・おわりに
大企業に15年ほど所属した経験から歳を重ねるとは「言いたいコトが山積みになるコト」だと思う。しかしそこにはなんの意味も無い。だから僕は文章を物語を書くんだと思う。また3年後に読み直したいと思います。
ここまで読んで頂いた奇特なあなたに感謝です。そして、もしあなたがシゴトに追われて眉間にシワを寄せてたら、指で撫でてシワを伸ばしてもらえたら嬉しいです。
ではまた何処かでお会いする日を楽しみにしています。皆さんにとって今日が素晴らしい日でありますように!