3.11を心に秘めて、日常を生きる
「栗の実と 人の子同じ 実るほど 遠くに飛ぶと 祖母は教える」
コロナが流行る前、実家に帰ると母が短歌を詠んでいた。栗の実も、ひとも、実るものほど遠くに飛ぶという意味だそうだ。私たち兄弟のことを詠んでいるのだと気づいた。私たちがふるさとを離れて暮らしていることを、前向きに捉えようとしている気持ちが伝わった。
大学卒業後、私も弟も関東で暮らしている。2人ともそれぞれの夢がある。私は社会の役に立つ事業をすること。弟は医療従事者として多くの人を救うこと。いつか、それぞれの経験を気仙沼に還元したいな、と話している。
震災から10年間、目の前のことに全力で取り組んできた。大学でビジネスのいろはを学び、世界中の人や文化に触れ、グローバルな環境で働いてきた。何日も徹夜して体が麻痺したこともあったし、仕事がうまくいって感動したこともあった。その全ての経験が必要かは分からないけれど、とにかく全力で生きてきた。
今自分にできることを全力でやる。その想いは、これまでも、これからも変わらない。震災があっても、コロナが蔓延しても、私は私の夢を叶える。それが私なりの復興だと考えている。
<後書き>
一点、誤解がないように補足すると、母の短歌の意図は、遠くで働くことを称賛している訳ではなく、各人の環境の中で最大限の努力をすることを良しとしているのだと思います。人それぞれ立場や環境が違います。私は偶然チャレンジできる立場にいたことに感謝して、日々精進しなきゃいけないと思っています。
10年経って、改めて、震災の記憶が自分の原動力になっていると気づきました。震災から10年目というのは1つの節目ですが、日常は変わらず続いていきます。3.11には昔を偲び、枯れるほど泣いたら、後ろ向きの気持ちから勢いをつけて、また前に進む。私にとって3.11は、そのような大切な日です。
1人でも多くの人がこの日を大切に思ってくれたら、最高に嬉しいです。