業界のこれから
AIについて
仏教を科学するとは
「神は人間を見捨てないが、人間は神を捨てる」と言われます。かつての日本人は見えない大自然に感謝して海や大地に神がいると信じ、それを祀り大切にしてきたのです。
英語では先祖の事をルーツといい、家系図をファミリーツリーといいます。
一本の大きな木で一番よく見えるのは枝葉それは自分です。先端に赤い実を付ける果実は子や孫、会社では資産、金です。真ん中にそびえる幹が両親、親です。大地の下の見えない根っこの部分が先祖です。
見えない事に思いをはせる、創造すること、思いやる事、それが仏教です。見えない事に恩返しすることを供養といいます。ある僧侶から聞いた説教です。
東洋思想の輪廻転生に、この身や体は滅びても思い出や意識、心は形を変えて何代もよみがえられていて、心のあり方こそ全てなのだと。最後に走馬灯の中で残るの純粋無垢な思い出だけだと説く。
仏教とは当時文字も読めない人でも、わかりやすく説いた教育であり生きていくための知恵なのだ。それがいつの頃からか、宗教論者の暴走と共に怪しいものにレッテルを貼られた、かつては「お天道様が見ている」と諭され悪いことに背を向け、仏壇に手を合わせ、神棚や朝日にまっすぐに祈る、祖父母の姿が日本の何処にもありました。
コロナ禍で宗教儀礼が簡略化し、御斎や身内による納骨の儀式もすべて簡素化し、お墓じまいが主流になっていく中で施主ではなく、石屋が御骨を箱に収め、依頼者の指定先の住所までゆうパックで送ると言う流れも珍しくない現状になっています。
お墓も、御骨も、儀式もめんどくさい、邪魔くさい、やっかいだ、、、のけ者にされ、本来、一つ一つの儀式を執り行って行くことで整っていく心のあり方が一段飛び越えた合理化したシステムに見えてならない。
このような心を置き去りにした結果が、我々の業界の現状の有様だ。
今後はお寺、葬儀社、仏壇店、同業他社が業界の垣根を越えて意識を変えて行かなければならない。いろんな宗派、宗教を超えたお付き合いあい、、公共事業から個人までこれだけ多くの分野と関われる業種は先ずないだろう。
我々だからできること。先頭に立てるチャンスは今しかないと思う。石屋がこれまで以上に前に立って心の拠り所、昔の日本人の誰もがもっていた心の豊かさを再認識してもらうための橋渡しを担う使命を胸に邁進していかなければならない。
現実問題、個人に墓石(もの)を売る時代は終わりを向かえつつある。神仏を大切に考えず、物に価値を見いださず、SDGs というものの、使い捨ての時代。何でも同じでしょ、日本の義務教育の平均的思考。捉え方。価値のあるもの、一級品、一級技能士で、老舗で、とか職人ですとか、今の時代は響かない。施主の思いを形にするといったところで、思いのかけらもないのだ。これからはもっと深刻だ。学歴無くても、探究心があれば、それなりの知識は簡単に身につけられる社会であり、技術や環境がそうだ。職人といわれていた分野もYouTubeみてDIYで何でもつくれちゃう。AIの台頭で子供や大人の分別もつかない。中学生の社長も普通にいる世の中がもう目の前だ。
そこそこの物が平均点を押し上げ、一般の人や物は淘汰されていく、じゃあ、どうやって石屋が生き残っていけばいいかって。普通に今まで通りやってたら、残ってはいけないだろう。
努力しないやつはだめだ。考えないやつもだめ。革命を起こせ。自ら先頭に立ち、なりふり構わず、ムーブメントを業界に起こすこと。行動、直感力、物怖じしない勇気だ、そして生き抜くための極意として仏教リテラシーだ。
小乗仏教から大乗仏教に広がったように、時代をリードする若者に興味関心をもってもらうために仏教を読み解き科学する。創造力の欠如した現代の若者を最先端のAIツールを使って神仏の声、タンスの肥やしになっているアルバムや田舎の校舎の思い出を言語化するサービスである。それこそ、我々石屋の武器ツールになり、業界の川上にたって先行者利益を得ていくためのヒントだ。現在、特許申請中のサービスだが母体が日本グリーフアカデミーであることから、時代を取り巻く背景に危惧された現代版宗教儀礼として形が変わったのである。日進月歩技術は進化し、来年の今頃はアプリ化されたり、個人個人が簡単に物の価値や意味を認識できる時代になり、相互間で共有できる場所として精神的にも豊かだった、かつての日本の人のように個人のお墓を大切に手を合わせ祈る日がくることを願わずにいられない。
とにかく、実践しトライアンドエラーを繰り返しながら、花の咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばす商魂を胸に今を一生懸命突っ走っていきたいと思います。