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失敗は挑戦した結果、という(無意味な)慰めについて

標記について。

相談者と回答者がすれ違う話題の代表格は「失敗(の捉え方)」だと思っていますが、いかがでしょうか?

まず、よくある回答者=慰め側≒一般的な「成功者」サイドの言葉。

誰もやったことのないことは、やり方も分からないし注意もできないから、失敗して当然。
赤ちゃんは失敗せずに歩けない、一度も転ばずに自転車に乗れる人はいない。
打席に立ち続けることが大事。大丈夫、失敗しても命までは取られない!

……と、こんなところでしょうか?

でも、私を始め、「失敗」を検索する人の「失敗」は、こうじゃないんですよね。

・うっかり忘れが大事になった。
・自分では全力で確認したつもりがボロボロだった。
・何気ない一言や振る舞いが、相手を激怒させた。

書いていて辛いのですが、端的には「挑戦なくして行動しているのに、思わぬ形で窮地に立たされる」ってことなんですよね。(その原因は能力の限界や、知識不足、運の悪さなど様々)

この埋めがたい認識のズレを、両方一度に解消しようという野心的な試みが今回になります。


残念ながら結論は、失敗した方に殆ど救いがないですが、長文を書くことがnote界の流儀だと最近気づきましたので、以下論考を進めていきます。一方で、Webの流儀に従い、まず時短の結論は以下です。

・まずは失敗の定義をしよう
・知りたいのは「直近のダメコン」であって「人生における定義」ではない
・残念ながら、失敗=死(その局面においては)
・それを防ぐのは「自分の価値は100%他人が決める。」

1.まずは「失敗」の定義から

そもそもこれをやらないと話が進みません。まずは辞書を引きましょう。

物事をやりそこなうこと。方法や目的を誤って良い結果が得られないこと。しくじること。
(出典:goo国語辞書=デジタル大辞泉 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A4%B1%E6%95%97/#jn-98694)

うん、この曖昧さが冒頭のズレを引き起こしているんです。よって、以降で扱う「失敗」は、主に以下のように定義します。

【定義】
自分の行為または不作為が意図しない形で、
自分または他人を不快にさせたこと

これにあてはまるものが全部「失敗」です。厳しいでしょうか。ただ、セクハラ・パワハラで「コミュニケーションは受け手の判断が100%」と言いますからね、やむを得ません。

ここで、意図するものを除くことで「捏造」「改ざん」「盗用」の研究活動における不正行為の3兄弟を議論から除いて、ひいては

山中伸弥教授「1回成功するには9回の失敗が必要」を「研究者は甘っちょろい、サラリーマンは1回終了したら終わりだよ」と評した@Okeraking氏の炎上事件 https://togetter.com/li/389071

の不毛なかみ合わない議論を避けられます。(よしよし)

少し話が逸れますが、とてもとてもとても大事なことなので言いますが、「犯罪」は失敗ではありませんからね?

想定外の事象で人が死んだら失敗ではなく過失致死ですし、鍵垢にあげたバイトテロが拡散したら意図しなくても犯罪です。

遅刻したとか、振られたとかで始まり、大きなものは損失を出したなど、犯罪にはカテゴライズできないが不快にしたことが「失敗」とするところです。

逆に言えば、「誰も気にしない」行為は、失敗に当てはまりません。売れないと分かっていて書いているWebサイト、古い言葉で言えば「チラシの裏」に書いた誤字等です。

2.失敗から「責められない失敗」を分離する。

その上で、考えを進めます。第一定義「人を不快にさせる」ととても矛盾している話ですが、話を進めるうえで、責められるべき失敗とそうでないものを分離する必要があります。
なぜなら、相談者の求めるものは概ね「失敗で発生した直近のダメージコントロールの方法」であり、ひいては「どうしたら他人から責められる苦しみを回避できるか」であって、「失敗は人生でこういう役に立った」という経験の価値に対する高尚なお話ではないからです。
さらに、ダメコンの中でも、金銭だったり代替品で対処可能なものは補填に動けばいいわけで難しくなく(尤も、直後にはそこまで考えが至らない場合も多い)、とりわけ必要にしているのは「自身の評価≒人生ゲームの難易度変更」に対するダメコンなわけです。
次項で詳述しますが、

失敗は
あとから取り返せるものではない。

ここがとてつもなく厄介なところであり、だからこそ必死で皆が対応を探すわけです。
回答者にまず、この認識が致命的にかけていることが、経験則上、非常に多いです。

閑話休題。
まずは、自分が自分を責めること。これは止められませんし、どうぞご自由に……です。
次に、キモになる他人から責められる場合。「他人から責められるのを避けられる失敗」は、以下の両方にあてはまる場合です。

①触法年齢に達していないこと(具体的には14歳以下 刑法第41条を参照)
②対価を受けないこと

例えば歩く練習や自転車に乗ることは、一般的には①も②にも当てはまらないので、失敗だけど責められない。
「子役がしくじった」については、①をクリアしているものの②にかかるので当然責めを受けますし、大学生が空気を読めない言動で彼氏/彼女を怒らせたり、社会人が何も習ってない仕事でやらかした場合は①に当てはまります。
自明ですが、なぜ責められるのを避けられるかといえば、①責任能力がないと社会が定めているから②契約行為ではないから損害がでないから。

※②の対価については「いろいろ無形の便宜を図ってやったのに」とかありますが、ここでは「本人と依頼主の間に発生する金銭的な対価」を相当と解するべきでしょう。理解しやすいし、区別しやすいからです。

3.失敗した人に向けて

さて、前項2つで、責められるべき失敗であると判明しました(責める価値がない「軽い失敗」も除きましょう)。その場合は、どうすればよいでしょうか。
端的に言いましょう。

何も慰めはありません。ダメコンは不可能です。

私が自信をもって、断言します。
その瞬間・その局面における事象は確定しました。永遠に変わりません。

相手の怒りに身を任せるしかありません。

人の権利は消えました。

つまり「死」です。


ものの本にあったのですが、

結婚式場で、自分のミスで、引き出物に値札をつけたまま渡してしまった。当然、依頼主からは激怒された。どう頑張っても、取り返しはつかない。いまでも、苦い思いとして抱えるしかない。

というエピソードを見ました。
それを深く心に止めて一流になろうが、その局面においては「失敗」である事実は変わりません。
確定した事実には何もできません。
※責任を取るという行為については、別に書いた記事もご覧ください。

4.紛い物の慰めを全部へし折ろう。

上記は、もちろん「その局面」においての話です。
だからまず出てくる話が「失敗と自分を同一視しないで。失敗への否定はあなた自身の否定ではない」と言うやつですが、君の人格がいかに優れてようともいま求めるのは人格じゃない結果だ。
冒頭の「サラリーマンは一回失敗したら終了」も恐らくそうだと思います。社会人として求めているのはその見えている一部が全てであって、どれだけやさしいパパさんでも会社に億単位の損害を与えたら死を持って償え(できれば金銭で解決可能な範囲の解決のため、保険金も詫びとして出してもらえるのがベスト)っていうのが、会社で上にいる者の素直な感覚だと思うのですよ。
言い換えれば、概ね人の怒りを甘く見過ぎている。
失敗しても死なないという自称成功者は、私が思うに、死ぬような追い込みを掛けられるような責任感を持って事に当たったことがないからだし、たまたま「俺もそうだった」「いいから頑張れ」と言われる相手にだけ当たっていて、法を突き破って命の危険を感じさせるような人間や、関係ない家族友人まで危険に晒されるような恐ろしい目に遭ったことがない、たまたま運がよかっただけなんだと強く言いたい。

また、あとから転じて福だったなんて、方もいますね。ミスで大型契約に失敗したら、相手先が不渡り出して「あの時結んでなくてよかった」って、ケース。
これも、その結果が分かるまでたまたま運良く生きてたから言えることで、近くのガラスの灰皿でぶん殴られたり、社宅を叩き出されて家なき子になったら聞けませんし、無意味ですからね?

人生は打率ではなく打数だ、ということを言う方も結構いますよね(この方に縁も恨みもないですが、note内で引っ掛かったので利用させていただきます)

ものすごく当たり前(最低でも、事務職の世界では)のこと、言いますね。

失敗したやつ、わざわざ打席に立たせませんから。全力で退けますから。


だいたい、何が楽しくて触法年齢過ぎた他人の練習のために、自分がリスクを犯して不利益被らなければいけませんか。
あなたが上司で、新人が皆同じようなところで失敗し損失出してたらどうですか?

「車輪の再発明」には一文の価値はないのです。

もう一度終わってることは恙無く終わらせないと。

すると、「わざわざ不向きな局面で頑張らなくてもいい。他のところで頑張れ」って次は言いますよね。

一緒ですから。

今時、まともなところほど前職での素行調査しますから。

何でここにいるか知ってますから。

で、失敗したら命までは取られない、つまり死なないかって言ったら、いや、死にますって呆気なく。

アドバイスする回答者と違って、尖ったことができない身体が健康な普通の人は、給与収入がなく生活保護もはねられたら食い物得る手段なんて思いつかないですよ。起業の成功者の足元には失敗者の骨が敷き詰められた白い白い原野があるのです。

ということで、クビになったら食うものがなくなり、犯罪に手を染め、刑務所行けば当面衣食住が確保できるけど、鳶・塗装・土木等のムショ帰りや札付きさんでもつける職場(今時は3トって言うらしいですね)で盛り上がれるmentalityがなければ、戻るために次の手段探して繰り返しですよ。

まず、そこまでして命を繋ぐ意義ってなんだとマトモな人ほど考える。

人の世のルールを無視し、世界一惨めでバカにされる人になって、なにも感じないとこまで落ちぶれれば心屋さん系は拍手喝采ですが、ルールを外れた人はヒトでなくただの「野獣」です。日本の若人は自殺が死因No.1なのは何故かと言う話ですよ。

5.「正しい」失敗した人の周りの人ができること

では、失敗した人が生きるのを許される術はあるのか。

実は、さっきの中にあります。

「この人には価値がある、だから失わせるのは困る」というのを、第三者が、説明することです。
むしろ、失敗した人に価値を見出しているひとは、失敗によって損害を受けた人に、価値を説明する義務があるとまで、私は思います。

・この分野ではすごい!
・ダメでも家族としてかけがえのない存在
・金づるだから困る
・成長させてあとから利益を得るから投資した卵を潰すな
・いないと自分がドベになる  etc..

つまり、価値判断で綱引きをするわけです。それで勝ったらOKです。誰も引いてくれないなら、さようなら。
間違っても本人にはその権利はないですからね、失敗してるんだから。

とても難しいのが、では、どのタイミングまでのフォローがフォローに値するか。
定量基準が示せないのが心苦しいですが、それは「自分または他人が責めたタイミングで」でしょうか。
※「他人が内心不快に思っても、責めなければそれは失敗ではない」というのは、事実、責められなければ失敗と気づかないから正しくはあるけれども、今回の論考ではそのしこりを取り除くところまで辿り着きませんでした…。

6.まとめ

自分の価値は100%他人が決める。

これをゆめゆめ忘れないことです。

参考文献:
https://study4future.jimdofree.com/2015/11/11/%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%92-%E4%BA%BA%E7%94%9F%E4%B8%80%E5%BA%A6%E5%A4%B1%E6%95%97%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%89%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A/