とある芸人のプロポーズを観て吐き気を催した話
この前、テレビ番組のVTRで、とある芸人が自分の彼女にプロポーズをしている様子が映されていた。その芸人は、彼女をサプライズで教会のようなところに呼び、そこで2人の思い出を語った後に、片膝をつきリングケースをパカっと開きながら「結婚してください。」とプロポーズしていた。何ともベタな演出だが、その彼女は彼氏のそのような姿を見て、嬉しそうに涙を流していた。
それを見て私は、ゲロを吐きそうになった。ていうかポケットサイズの小ゲロは吐いていたかもしれない。ともかく、足先から頭のてっぺんまで虫唾が走り変な声がでるほど気持ち悪く感じた。
「なんでこんなに気持ち悪いんだろう。」
あまりに強い嫌悪感に疑問が湧いた。
「彼女のいない童貞がひがんでるだけ。」
こう単純に説明をつけることもできるだろう。確かにひがみは多分にある。しかしそれだけでは、このあまりに強い嫌悪感は説明しきれないとも感じる。自分に酔ってる感じがするから?自分をドラマの主人公か何かだと勘違いしているように見えて痛々しいから?プロポーズを電波にのせて公衆の面前にさらすその厚かましさに辟易とするから?
何はともあれ、私が彼らに抱いた嫌悪感は単純じゃなさそうだ。というのも、私は彼らに羨ましささえ感じているからだ。あれだけ「自分に酔って」て、「痛々し」くて、「厚かまし」い彼らに。
恋愛に限らず、恥も外聞も気にせず何かをしてみた経験がここ最近の私にはない。部活に励んでいた中学時代はそうじゃなかった。ライバルに勝つこと・昨日の自分を超えること、それしか頭になかった。周りのことが見えなくなるほど一生懸命だった。練習ではよく、格言(「努力は裏切らない」とか)の印字してあるプラクティスシャツを好んで着ていた。使い古され、格言が消えかかってしまったそのシャツを見ては、誇らしく思っていた。
だが現在はどうだろうか。大人になった今では、そのようなシャツを着て走っている中学生を見ると、何とも言えない恥ずかしさがこみ上げるようになった。「格言シャツ」をステキだと思えない大人に、私はなってしまったのだ。なんてつまらない大人なんだろう…。きっとテレビの向こうの彼らは、「格言シャツ」をステキだと思える大人だろう。というか彼らは、「格言シャツ」を概念として身にまとっている。自分の内に秘めている思いを衒いもなく表に出しているのだから。
私も再び「格言シャツ」を着られるだろうか。汗と涙と泥にまみれていたあの頃のように。今は、変なプライドと自意識と恐れにまみれた私である。だけど、せめて恋愛だけは、「格言シャツ」を着て胸を張りたい。