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私はこうして童貞をこじらせた


私はマッチングアプリで出会った女の子(ミカちゃん)に、「俺は人のことを好きになれんのやと思う。」とこぼした。それは私のある体験が言わせた言葉であった。その体験によって、私は人を好きになること、人を愛することがわからなくなった。今回はその体験について記す。


好きな女の子との出会い


それは高校2年の夏休みに入る前のこと。私は「好き」な人に告白しようとしていた。今までも「好き」な人はいたが、告白はしてこなかった。だからそれが人生初の告白だった。

その人の存在を認識したのは、高校1年生の5月ごろの遠足であった。最初に目を惹かれたのは、その端正な顔立ちであった。健康的な浅黒い肌に、奥二重の3白眼、控えめな小鼻に、薄い唇をたずさえたその顔にはどこか愛おしさを感じた。クラスは2つ隣のクラス。彼女と同じクラスの友人に聞き、「アオ」という名前であることがわかった。当初はアオの容姿に惹かれた私だったが、目を追ううちに、彼女から醸し出される雰囲気や所作に魅了された。彼女は同年代の女子と何もかも違っているように見えた。群れない。寡黙。寒色を好んで身につける。理系科目が得意。感情的にならない。おおよそ女性のステレオタイプとして挙がる特徴を彼女は持っていなかった。そのことが、当時ミソジニーをこじらせていた自分には、とても魅力にうつった。


進展しない私と彼女


とはいえ、こうしたアオのいくつかの特徴は、遠巻きの観察と伝聞によって知りえた情報だった。意気地のない私は、彼女に話しかけることもできなかったのである。話しかけようと思って何度か接点を作ろうとしたのだが、どれも失敗に終わった。業を煮やした私は、彼女と同じクラスの友人にそれとなく私の存在をほのめかしてもらった。好意を隠して打算的に駆け引きするなんてことは、不器用な私にはできなかったからだ。こうして双方が、互いの存在を知ることとなった。この時、高校1年の9月ごろであった。

だが、それからも相変わらず接点がつくれず、話しかける勇気もなかった私は、結局告白のその日まで一度も話しかけることができなかった。互いを認識してから早1年と経っていたにも関わらずである。それでも告白しようと思ったのは、それまで「好き」な人ができても何もしようとしなかったことへの後悔があったことと、今まで「好き」だった誰よりも「好き」だと思ったからだ。

いざ告白


告白は高校2年生の夏休みに入る直前、最後の登校日に決めた。この日に設定したのは、失敗してもしばらく顔を合わさなくて済むこと、そして、1年後には受験勉強を控える身として、この時期が恋愛にうつつを抜かす最後のチャンスに思えたからだ。私は告白前日、仲介役になってくれた友人を含む数名の友人に、「明日アオに告白する」、ということを伝えた。告白する直前で逃げ出さないようにするためだ。

そして告白当日を迎えた。結論から言うと、告白は失敗に終わった。告白する前は、フラれたらきっと立ち直れないぐらい落ち込むだろうと思っていた。しかし、「ごめんなさい」とフラれた刹那、私はなぜかホッとしていた。というのも、告白する寸前になって突然、アオへの気持ちが醒めていることに気付いたからだ。自分の突然の気持ちの変化に、私はとにかく動揺した。何より理由がわからなかった。アオは相変わらず素敵な女の子だったし、付き合ってもきっとうまくいくという根拠のない自信もあった。なのになぜ…。こんな気持ちのまま告白することに当然後ろめたさがあった。私の放つ「好き」という言葉はきっと空々しいものになるに違いない。とはいえ、友人の前で「告白する」と大見得を切っている。ここで断念したらきっと、向こう十年、「告白を急にやめたチキン野郎」とイジられる。そんなことを考えて、最終的には告白したわけだが…。


「好き」って何?


それからというもの私は、自分の「好き」という感情を信じられなくなった。実は、高校最後の登校日にアオに告白されたのだが、それも断ってしまった。「好き」という感情に自信を持てなくなったという理由の他に、彼女が自分よりはるかに頭のいい大学に進学し、私は第一志望に落ちたということに対する負い目があった(こういうちっぽけな「男のプライド」を持っていることが私が童貞たる大きな所以である)し、付き合ったとしても遠距離恋愛になることは確定していたし、とにかく諸々の理由があって、人生に一度か二度しかないような僥倖をみすみす捨てた。


私の「好き」の正体



そんなこんなで私は、大学に行っても恋愛を一切しなかった。街ゆくカップルを見ては羨ましいという感情がこみあげてきたが、アオより魅力的な女性に出会わなかったし、何より「好き」を知らない私がひどく恥ずかしく、幼く思えて、出会いの場を避けていた。だが、そんな中でも私は、あの時起こった現象をずっと考えていた。なんで急にアオへの気持ちが醒めてしまったのか。アオを「好き」だと思っていたあの感情は何だったのか。そしてある結論に達した。「確かに私は、アオを好きではなかった。」と。

私が「好き」だったのは、アオではなく、アオに投影させた私の理想の女性像だった。だからこそ、私は何も話していないのに、アオのことを「好き」になれたのだ。だからこそ、告白の直前にアオへの気持ちが醒めてしまったのだ。理想はあくまで理想だからこそそれを望むのであって、理想が現実になってしまってはそこに価値は生まれない。

そう考えると、あるいはこうも言えるかもしれない。私が「好き」だったのは、アオではなく、理想を追いかける自分だった、と。「頑張っている俺ってかっこいい。」と、目標を達成することではなく、努力することが自己目的化してしまっている人間と同じ心理に私は陥ってしまっていたのかもしれない。実際に私は、アオにフラれてから、学校の成績が下がり、遅刻も多くなってだらしなくなった。もちろん他にもきっと理由はあるのだろうが、この頃から張り合いがなくなり、虚無感を感じることが多くなったのは事実だった。

さらに厳しく私の行為を言語化するならば、私は自分の成長のためにアオを利用していた。自分がもっと理想の自分に近づけるように、恋情を偽造した。アオを理想化することで。

大学時代に、「アオより魅力的な女性と出会わなかった」というのも、その当時のアオを理想化させていたからだろう。そこがスタンダードにあるから、たとえいろんな女性を見ても、陳腐なものとしか思えなくなっているのだ。私が24年もの間、彼女ができないのは私のこうした性向が大きく関係しているのかもしれない。

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