『嫌われる勇気』読了感想
『嫌われる勇気』を読了したので感想とまとめを備忘録がてら残していく
この本の面白いところはアドラー哲学についてわかりやすく伝えるためにフロイト的な心理学との比較を哲人(アドラー心理学)と青年(フロイト心理学)の対話形式で描いていること
まず物語の序章はある青年が「人は変わることができる」「人生はシンプルである」と言っている哲学者の存在を知り、そんなことは到底信じられないと哲学者のところに押しかけるところから始まる
第1章:トラウマを否定せよ
青年はフロイト心理学の代弁者であり、フロイト心理学においては原因論的なアプローチで物事を考察する。
つまり、トラウマが現在の人生に影響を与えているとしている。
しかし、哲人(アドラー心理学)はトラウマの存在を否定する考え方を行う。
もしトラウマが事実だとすると、同じ事象を体験した人は全て同じような行動を取るようになるはずだから
経験にどのような意味を与えるかによって、自らを規定することができるという考え方をする
ここで青年は改めて反論する。私は変わりたいのに変われない。これは性格や先天的に与えられた性格によるものではないのか?
哲人は答える。アドラー心理学では性格気質をライフスタイルと表現する。
変われないのは「変わりたい今の自分への不満<変わる不安」この不等号が成立するからであると
トラウマが存在するのではなく、変わりたくない自分への言い訳としてトラウマを持ち出しているだけであると
第2章:全ての悩みは対人関係
青年「(好きになりたいのに)なぜ自分のことが嫌いなのか?」
目的論的見地に立つと「他者から嫌われ対人関係の中で傷つくことを恐れているから、他者との関係の中で傷つかないために短所を発見し短所を持ち出している」
人間は社会という文脈の中でしか孤独になることがない、そのためアドラーは全ての悩みは対人関係の悩みであると主張
なぜ「全ての悩みは対人関係からくる」のか?
人間の本能には「優越性の追求」という普遍的な今の自分よりもよくあろうとする欲求が存在する
優越性の追求を行う際の理想の自分とのギャップが「劣等感」である。これはあくまで主観的に感じることであり、客観的な事実ではない
この劣等感を現実的な努力によって埋めることができるという事実を受け入れることができない時に「どうせ私なんて...」という劣等コンプレックスを抱く
なぜか?今享受する快楽を犠牲にしてまで変わりたくない努力したくないから、変わる勇気がない、今のままが楽
劣等コンプレックスは「優越コンプレックス(自分以外の権威に自分を結びつける行為)」や「不幸自慢(不幸であることで人の上に立とうとすること)」に発展してしまう
また他者との関係性に競争という考え方を持ち込んでしまう人は対人関係の悩みから逃れることができず、不幸から逃れられない
勝敗=負ければ劣等コンプレックスに繋がり、勝っても勝ち続けなければならない不安に苛まれる。この時に世界は恐ろしい場所に見える=人生のタスクから逃れる行為
人生のタスクとは自立する過程で生まれる対人関係「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」
これらのタスクに立ち向かうことがアドラーが説く人生の目標4つの目標
(心理)①自立すること、②社会と調和すること
(行動)①私に能力があるという意識、④人々は私の仲間であるという意識を持つこと
を達成していくことになる
第3章:他者の課題を切り捨てる
人間から自由を奪うものは何か?青年が考えた答えは「承認欲求」
しかしアドラー哲学では承認欲求を厳しく批判する(褒めてもらえなければやらない、叱られるからやる)
承認欲求を満たしてあげる行為は他者の課題に土足で踏み込む行為であると批判
だから課題の分離が必要であるとしている。
課題の分離は対人関係の入り口であり、課題の分離とはその選択によって、もたらされる結末を最終的に引き受けるのかは誰なのかということを見極めること
対人関係のトラブルというのは常に「他者の課題に土足で踏み込んだか、自分の課題に踏み込まれた時に発生する」
→これは自分は自分人は人という態度ではなく、人の課題については指図を行わないが、必要であれば援助を行う用意があると伝えること
しかし、援助を求めてもらうには普段から良好な信頼関係を築いておく必要もある
ではなぜ人間は承認を求めてしまうのか?→嫌われたくないから=自然な欲求衝動(傾向性)のため、しかしこの傾向性に逆らうことこそ自由である、つまり人に嫌われることこそが自由(全ての悩みである対人関係から解放されること)
自由の公使の代償は他者から嫌われること
相手の態度は関係ない、相手の反応は相手の課題と切り分けること
第4章:世界の中心はどこにあるか
共同体感覚を持て!=宇宙や無機物、まだ存在していないものまで共同体である感覚
共同体感覚は対人関係のゴール
承認欲求に囚われている人間は自己中心的。他者は自分にどれだけ注目し、自分をどう評価するのかということに囚われているということになるから=自己への執着
この自己への執着を他者への関心に切り替える努力を行うべき
他者への関心に切り替えるとは?
人間はここにいてもいいんだという所属感を求めるもの
この所属感は共同体への積極的な貢献によって得られる、与えられるものではなく獲得していくもの
課題の分離から入って、横の関係を作ることが共同体意識を獲得するのに必要
横の関係とは?
他者に感謝すること(褒めたり、叱ったりは能力があるものが能力がないものに下す判断であり、褒めて欲しいのは縦の関係に生きている証左)
自分に価値があると思えるようになるためには自分が共同体に対して有益なのだと思えた時に人は自分の価値を実感することができる
この自分に価値があると思える実感とは客観的な行為ではなく主観的な存在レベルのこと(次元を超えてという話もあるので、過去の行為を行った人への感謝ということ????ここについてはまだ腹落ちし切れていない)
大事なことは他者に対して存在レベルへの感謝を行うこと
第5章:今ここを真剣に生きる
では課題の分離から共同体意識を持つに至るには?
①自己受容②他者信頼③他者貢献
自己受容:60点の自分を受け入れ100点を目指し前進すること
他者信頼:他者を一切の条件付をせずに信頼すること(デポジットを要求しない)(裏切るのは他者の課題)信頼できた時他者は仲間
他者貢献:仲間への貢献→私の価値を実感=自己受容に繋がる
偉業をなしたいという目標思考からの幸福は存在しないのか?
偉業をなしたいというのは未来のこと、過去のことも未来のことも今の問題ではない、今に強烈なスポットライトを当てることが大事
偉業をなすというのは、自分の優越性を誇示する行為であり、偉業をなすことができなかった時自分の人生には意味がなかったことになってしまう考え方
普通の自分を認める勇気をもち、今の自分に強烈なスポットライトを充てること(今の人生を真剣に生きること)が大事
ただの要約になってもうた
なんかこうもっといい感じにまとめて、自分がどう解釈したのかをきちんとアウトプットできるようになりたいな