自助努力としてのライティング・グループ
先日、大学の研究・教育環境の現状についての嘆きを書いたが、そのような状況の中でも多くの研究者はなんとか論文を書こうと努力している。その一つがライティング・グループだ。
私個人の経験では2010年頃から研究者の自助努力としてのコミュニティ作りが広がりはじめていたように思う。その一つがライティング・グループだった。オンラインや対面、ペアやグループなど形式は色々あるが、とにかくライティングをする時間を確保し最優先するために、人と約束してライティングのグループを作る。自分一人だと、他の仕事が降り注いでくる中で、自分の研究時間の優先順位が下げられてしまいがちだからだ。
先日、B教授が私のために自宅で歓迎会を開いてくれて、B教授と仲のいい友人や研究者の人が来てくれた。ヒメナさんというラテンアメリカとアメリカのLatinxコミュニティにおけるフェミニズムとクィアムーブメントについて研究している若手研究者もその一人。
エクアドル出身というヒメナさんと、南米の旅の話や日米の大学における授業負担問題について一通りおしゃべりした後、ヒメナさんは「一緒にライティングしない?」と声をかけてくれた。「新入り」に親切にしてくれているのだろうけれど、それくらいライティングの仲間を見つけることが米国での研究者として生き残る上で重要と(少なくとも若手の間では)認識されつつあるのだろうか。
これは20年前にオハイオにいた頃にはみなかった現象だが、トロントで過ごした2010年代にはあちこちで話を聞くようになっていた。いかに研究時間を確保するのかという、「研究者」から出るとは信じがたい会話もこの頃から活発に交わされていたように思う。
これにもジェンダー問題が隠れている。他の職業と同じく、17:00以降の会議や授業があることで育児に支障が出やすいのは女性教員である。k大学でも90分授業の変更が議論されたが、授業時間が伸びると帰宅時間が遅くなるため、小さな子供がいる研究者は担当できない可能性が出る。だからこの改革に反対したのは、そうした家庭での負担が集中しやすい女性教員たちだった。
大学でもジャンダーギャップが問題になっているが、業務負担が増えるほど、家庭での仕事分担の差がじわじわと業績に影響していくので、この問題はジャンダー平等の観点からも重要である。
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