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小田桐あさぎさん『欲望を全て叶える方法 』day1を見て

こんばんは。

このセミナー、去年9月にも私は見ています。

あさぎさんが同じテーマで年に1〜2回
無料で開催してくれていまして。

前回はday3まで見た段階で、涙こそ流さなかったものの、めちゃくちゃ感動したのを覚えてます。

ピンクの髪で全身シャネルに身を包んで、大笑いする富豪。
下品な感じですが、中身は真面目で聡明で愛の深い人なんですよね。

私があさぎさんを好きになったのは、欲望全開で生きているとかお金持ちだとかではなく
自分とちょっと似ていると感じたからでした。

今日も懐かしい気持ちになりながらday1を見ていたのですが、あさぎさんのお話は最高だったのは言うまでもなく
改めて「あの時の私、よく頑張ってたね😭」という気持ちが溢れてきたのでここに書くことにしました。

※あの時=ボロボロの会社員時代

私の理想が叶ってなかった理由。
それはあの頃の生活の全てに詰まっていました。

自分の本音と価値に気づかず
周囲に遠慮して生きてました。

以下、私の回想録なので、丁寧語外しますね。

複雑な学歴コンプレックス

あさぎさん、高卒とか言ってるけど、実際は県内トップの進学校に行ってて、自ら大学受験せず就職する道を選んだ人なんだよね。


親や周りの忠告聞かずに学歴捨てて
なんかよくわからないまま社会に飛び出して
貧乏な生活で苦労して
やっぱり大学出ておけば良かったかも…
と後悔したり、必死に資格を取ってみたり。

え、それ私じゃん。

せっかく現役で大学入れたのに授業サボりすぎて単位落としまくって、留年確定。
5年生まで真面目に通う自分が想像できなかったし、学問に興味ないのに、あと2年お金も時間もそこに費やすのバカバカしいと思ったんだよね。

今思えば、その考えは正解で。
やりたくないとわかってることを、世間の常識や周りの目を気にしてやるのは間違いだから。

でも大学辞めて数年後までは、やっぱり入り直そうかとか、グズグズ考えたことがあった。
学び直したいとかじゃなく、大卒じゃないと充分なお金がもらえない世の中だという思い込みがあったんだよね。
たしかに企業に就職して出世して収入を増やしたいなら、高卒と大卒ではベースが違うから、それはそうなんだけど。

この時の、やっぱり大学出ておけば良かったっていうのは
それをコンプレックスに感じてたからなんだと。
本当にやり直したいわけじゃなくて、自分責めするための材料にしてたんだよね。
自分の人生がうまくいってないのは大学を辞めちゃったからだ!って思いたかった。
私はなんでもすぐに飽きるし続かないし逃げ癖があるから、そのせいで大学も辞めたし、これから働こうとしてるけどきっとそれも何一つ成し遂げないで逃げて終わるんだ!!!!
そんなふうに、心のどこかで思ってて。

全部、人生がうまくいってないことの理由にしたかったの。

大学辞めた後の話に戻る。

私は当時、飲食店でバイトしてて「自分の店を持ってみたいなー」と思ってたんだよね。
でも思ってるだけで具体的に何をしたらいいのかわからなかったし
それより大学辞めてしまいたいって気持ちの方が強かったから
とりあえず飲食店でバイトしながら開業を目指すという名目で、辞めさせてもらったんだよね。

本当にとりあえずでしかなくて、最初は代官山のおしゃれカフェに入ったけど
仕事になかなか慣れなかったことや人間関係が微妙だったことで、働くこと自体が苦痛になっていったし
1年後にはお店がダメになって、仕事がなくなった。

これも今思えばだけど
私が仕事嫌だったから招いた結果なんだな。

私が「嫌だな」と思ったことは大抵、中止になるから笑笑

それから次の新橋の喫茶店に採用されて、私はここで才能を開花させて居心地が良くなって、6年働いた。

私はこの頃を「glory」とまで表現してて笑
本当に栄光時代だった。

みんなが私のこと好きだと思ってたし
自分は仕事でき過ぎてると思ってたし
学歴のことは忘れて、自信を取り戻せた時代だった。

でも30歳手前で、将来を考えないとって思い始めたことで、また人生が狂っていく。

稼げないし貯められない、私はヤバい人

楽しく働いた6年間は正直もう独立開業なんて全く考えてないし、
実家暮らしだから給料はほぼ全部がお小遣いなわけで、
毎晩飲み歩いて、お金は毎月使い切る生活をしてた。

友達も実家暮らしのOLが多かったけど、みんなはそれなりに節約も貯金もしてた。

私とは給料が違うからと思ってたけど
それも大学の話と一緒で、理由が欲しかったのよ。

みんなはもともと私よりお金持ってるもんね。そう言いたかった。

実際は友達が手取りいくらもらってるかなんて知らないし、
実家にいくら入れてるかも知らなかった。

貯金がないどころか時々リボ払いを使ってる自分はやばいと思ってたし、
貯金がないことを友達には絶対に言えなかった。

旅行に誘われたらお金以外の理由をつけて断ってた。

給料が少ないことよりも、実家暮らしで貯金できてないってことが
すごいダメな女の典型って気がして、引かれると思ってたんだよね。
お金がすごくコンプレックスだった。

そんな劣等感から逃れたくて、
そして結婚しなくても自分を支えていけるだけのお金が欲しくて、就職を決意したんだ。

私なんかを拾ってくれた会社だから、感謝しなきゃ

29歳で人生初の就活を開始。

学歴コンプレックスがあるから、せめて就職に対するやる気を見せねばと
秘書検定2級っていう何の箔もつかない検定を受けたり、
派遣会社に登録してタダでExcelのレッスンを受けたりした。

あと、そもそも就活関係なく趣味でTOEICをたまに受けていた。
たぶん、何も無い自分がプライド的に許せなかったんだよね。
新橋の喫茶店で英語なんて活躍させようがないのに。

そうやって、あさぎさんに言わせれば頑張らなくていいことを、しっかり頑張ってた。

SPIとか無理だし、大企業はそもそも入れるわけない。
そう思って、求人サイトに載っている中小企業で「未経験歓迎」と謳っている会社に絞って応募した。

前職での実績とか、喫茶店のアルバイトで書けることなんて無いのに
無理やりExcelとか使ったことあるふうに職務経歴書を作った。

面接でも、真っ当な人に思われるように、
秘書検定で学んだマナーに気をつけながら受け答えした。

最終面接が社長で、緊張しすぎて何を話したか忘れた。
覚えてるのは、最初に「噂に聞いてたけど本当に美人ですね」と言われて、苦笑いしたことくらい。
(後に冷静になって、セクハラでは?と思った)

社長以外は全員女性、という職場だった。
前職も女所帯だったし、自分には合っているのではと思った。

私は基本的に女性より男性の方がリラックスして過ごせるけど、職場に限っては逆だった。
男性の、特に上司となると威圧感を感じすぎて萎縮してしまう。
プライドの高い私だから、もっとプライドが高いであろう男性に対して
どのように接したら気を悪くさせないのか、それが気になり過ぎるからだ。

初めての就職で、未経験者の中途採用ということもあって
給料の相場とか条件面はよく分からなかった。
そもそも、何の経験も資格もない30歳手前の私を採用してくれた会社に
給料の交渉や条件を相談するなんて恐れ多くて考えられなかった。

実際に勤務してみて、研修期間が終わると
毎日終電まで残業する日々が始まった。

仕事に生きる女になりたかったから、それは覚悟の上でもあった。

労働力を搾取されているとは感じなかったし、
新しいことを覚えるのは楽しくて、早く仕事に慣れなくてはとやる気に溢れてもいた。

ところが、ここでも人間関係が拗れた。
途端に、会社に行くのが億劫になった。夜遅くまで働くのもしんどくなった。

もしかして私、虐められてるのか?
嫌われるようなことしたのか?
仕事できないから怒られてるだけなの?

でも人間関係を理由に仕事できないなんて若い子じゃあるまいし、そもそも被害妄想なんじゃない?
気にしない、気にしない。

そんな事を頭で考えても、モヤモヤするもんはモヤモヤする。

頭の中に常に気になることがあるから、仕事にも集中できなかった。
集中していないからミスる。
ミスるから怒られる。
励ましてはもらえない。

自分で仕事増やしてるんだから、残業が増えるのも仕方ない。

何より、拾ってもらって学ばせてもらってるんだから感謝しなきゃ!
と、自分を戒めながら奴隷のように働いた。

私がおかしいのか?

やがて、私を虐めた上司は転勤、退職した。

これは私が嫌だったからではなく決まっていたことだけど、退職までしてしまったのは私の怨念のせいかもしれない笑

それから数年後に同期が辞めて、営業は私一人になった。地獄の始まりだった。

同期が辞めたのが2020年の年明けのことで、タイミングもタイミングだった。

コロナが日本でも流行り出した頃で、私がいた会社もその煽りを受けた。
イベント関係で大きな売上が期待される業界だったから
展示会が軒並み中止となったこの頃は、営業手法や商材を考え直す必要があった。

それと同時に、会社としてもテレワークの導入など考えるべきだった。
でも当時の社長は古い人で、
なんだかんだ言っても現場に行かないと仕事は成り立たん、みたいなことを言って
(本当はインフラ整備が面倒&お金使いたくないだけだったと思うが)
何も対処する様子がなかったんだよね。

一方その頃、夫は転職活動中。
他の記事でも書いたけど、ややブラックなベンチャーから
超ホワイト企業に転職して、時間もお金も余裕ができたみたいだった。

ちなみに夫の収入についてはざっくりしか知らない。
どのくらい天引きされて、本人の自由になるお金をどれだけ持ってるのか分からないけど、私が欲しいと言っただけの生活費は必ず入れてくれている。

世間がどんどん変わっていった。
コロナきっかけだけど、そういうことじゃなくて時代が変化したんだってことが、今になってわかる。

当時は、コロナがコロナがって言って、何かと言い訳にしてるようにしか聞こえなくて
いつか終息したら元の世の中に戻るような気がしてた。
社長だけじゃなくて、私もその内側に取り込まれた人間だったんだ。

だけど周りの様子を見て「この会社にいて大丈夫かな?なんかおかしくないか?」と感じつつあった。

相変わらず残業は月45時間を超え続けて
毎月、残業超過の報告を反省文と共に上司に送り、
毎度、来月はどうにかしましょうねと言われる。

残業を減らし、且つ売上を上げなくてはならない。

営業会議なんてものもやってはいるけど
疲れ切っていて、何を話してるんだか自分でもよくわからない。
よくわからないけど、毎週会議の前日に
慌てて明日報告することをまとめるのだけは必ずやった。
前日に忘れてしまったら、当日の朝早く出社してギリギリ形だけでも作った。
形だけで意味なんてない。でも、やらないと怒られるからやる。

何をやってるんだろう?
そもそも私は改善する気あるのかな?

上司にも、もう諦めてほしいと思った。
巻き返せないくらい、毎日仕事が溜まり続けてるのに
残業を減らすなんてできるわけない。

そのうち、やってもないことをやったことにするようになった。

外回りでアポ先に行った後、飛び込み営業やテルアポをやったことにして
実際はカフェに入って少し寝たり、ゆっくり調べ物をしたりした。

調べ物だって仕事に関係することだった。
別にサボって楽しいことをしたわけじゃない。
ただ、会社のデスクでそれをダラダラやっているところを見られたくなかった。
「今何やってる?」って聞かれるのが怖かった。

あれやったの?あの件はどうなった?
デスクに座ってると、捲し立てるように聞かれる。
聞かれたことに答えるから手が止まる。
定時までに終わらせたいから一生懸命やってるのに
邪魔されて、挙句は「もっと効率よくやって、明日こそは定時で帰ってよね」と言われる。

はい。すみません。

わかってる。
誰も邪魔しようとしてない。
私の報告が遅いから、何してるのかよく分からないから、気になって聞いてくる。

でも私は既に耳も心も閉じてた。
ただ一人にさせてほしい。

営業もちゃんとやるし、事務仕事もちゃんとやる。
だから、誰も干渉しないで、私を見守ってほしい。
時間はかかるかもしれないけど、ひとつひとつ丁寧にやりたい。
急かされて、慌てて行動しても成果は出せなかった。むしろ怒られた。

「遅い」「浅い」「準備が足りない」

どれもその通りだけど、それは私のせいですか?
私がわざとダラダラしてると?
私がわざとテキトーにしてると?
私がわざと準備を怠ったと?

その上、退勤の報告に対する返事はいつも
「ゆっくり休んでくださいね」
「睡眠は大事です。疲れていると仕事の効率も上がりません」
とか平気で言ってくる。

じゃあ私をここまで疲れさせているのは一体なんなんですか?

残業するなと言うから朝は1時間早く出社してるのに、
おっしゃる通り眠すぎてほとんど仕事は進んでません。
朝の清掃も、他の人が来てから始めるのはなんか申し訳ないから
一人で先に始めてるけど、それも私が勝手にやってるから、私が悪いんですか?
眠すぎて仕事に支障が出てるのは、自分で睡眠を確保してない私が悪いんですか?
都内に住んでる他の社員より睡眠時間が取れないのは当たり前。
通勤に時間のかかる職場を選んだから自業自得なんですか?

今からは考えられない生活

当時の生活リズム。
朝7時に家を出て、夜23時に帰宅が標準だった。

帰宅してから夫が作ってくれた夕飯を食べ、そのうち眠くなって一旦寝落ち。
深夜に目が覚めて歯磨きだけしてもう一度寝る。

朝はギリギリまで寝ていたいというか本当に起きられないから
シャワーも浴びずに着替えてメイクは5分以内で終わらせて出掛ける。
だからお風呂は数日に一度入れたら良い方だった。
(会社の女子たちはそういうのを不潔扱いするので、お風呂に入れてないことは誰にも言えなかった)

通勤のバスと電車は基本的に座れない。
吊り革に捕まって寝落ちして、膝カックンして目が覚める。
乗り換えまでに奇跡的に座れることもあったけど
座れたら座れたで降りたくなさすぎて乗り換えが恨めしくなる。
朝から足が疲れてて、30分以上立ちっぱなしでいることが本当に辛かった。

会社の最寄駅に着くといよいよ気分が悪くなり、始業ギリギリまで外にいたくなる。

朝ごはんはもちろん食べてないからコンビニで買って出社することもあった。
でも朝の清掃やらメールチェックやらしているうちに始業時間が来て、朝買ったおにぎりがお昼ご飯になるなんてことはザラ。

お昼休憩だってお昼になんか取れない。
15時くらいになって、無神経に「お昼食べたの?」と聞かれ、やっと休むことができる。

他の人は15時にコーヒータイムを取る。
おやつを食べて小休憩という感じだけど、私は遅い昼飯を食べたばかりだし、
朝のコーヒーが最初のひと口飲んだきりの状態で冷め冷めになっているから
新しいコーヒーを淹れてもらうのが毎回申し訳なくなるだけ。
どうせこの15時のコーヒーも口をつける暇はなく、残業終わって捨てて帰るだけなのに。

今、これは現実なの??という感覚になってきた。

本当に、私は1年ちょっと前まで、こんなに苦しい生活をしてたの??と。

書いてて当時の気持ちになってしまい
深夜にこんなことしてて大丈夫かな💦という
焦燥感まで襲ってきた。

当時は、夕飯を0時までに食べ始めればいい方で、
さっさと食べ終えて寝る準備をしたいのに、テレビ好きの夫が遅くまで録画した番組を観ているのがストレスだった。
これも夫のせいじゃないのに、当時は夫が気を遣ってくれないとばかり思ってた。
一緒に観て楽しみたいのに、いや楽しんでるはずなのに、心ここに在らずで
顔は笑ってるけど、脳内のほとんどは明日の仕事への不安に支配されてた。

でも大丈夫。
今はもうそんな心配はいらない。

誰の指図も受けず、自分が尽くしたい人のために尽くして、周りには大好きな人しかいない。

こんな安心安全の居場所があるのは
全部、自分のおかげ。
自分の心と向き合って、自分で決めて、自分で行動したから。

会社を辞めたいって自覚してから2年は辞められなかった。

突然辞めますって言うのは、会社への裏切りであり、迷惑行為だと信じてたから。
辞めることができるのは、後任がいて、しっかり引き継ぎをした時。
今は後任もいないし、これからできたとしてもその子が辞めずに育ってくれて、ちゃんと引き継ぎをしてからじゃないと辞められない。
そう思い込んでた。

辞める理由を聞かれるのも怖かった。
何もかもが嫌になったからです。って感じだけど
冷静に、一つ一つの理由を挙げたら「こうすればよくない?」と論破されそうだったから。
私はもう感情的にそこに残る気は一切なくて、辞めるしかないんじゃなくて辞めたいだけなのに
真っ当な理由がないと辞めちゃいけないんだとしたら、論破されて辞める理由がなくなってしまう。
だから、引き留めようがないような理由を探した。

最終的に、奇跡的にガッツのある後輩ができて、その子に全てぶん投げて辞めた。

辞める理由はめちゃくちゃ適当だった。
義父の病気がかなり悪くて、義母の手伝いもしたいからとか言った気がする。(全くの嘘ではない)

上司は、時短勤務や雇用形態の変更を考えてもくれた。
ちょっとどの程度になるかわからないので、と濁したけど
あの時、本音を察してくれたような気がする。

目の前の一人のために働きたい

で、本当に辞める少し前になって、お客さんや上司から改めて今後は?と聞かれた時に

今の自分ができることを、もっと身近な人のためにやるような仕事がしたい。って話した。

それもあながち嘘ではなく、
今まさに「目の前の一人」のために、自分なら何ができるか?を考える日々なんだよね。

会社辞めたかったのは辛かったから。それは間違いない。
このままだと過労死する未来しかないなと思った。
通勤時、駅のホームでふらっと線路に落ちる想像を何度かしたくらいには疲れてた。

でも、もっと根本的に、どう生きたいのか?という部分では
このずっと前から、私は変わってない。

2019年に夫と結婚して、思ったことがある。

私はもう自分自身の夢だとか自己実現だとか、そういうのは無くなった。
これからは誰かのために生きる自分でありたい。

自分を何者かにしたり、人から称賛されるようなことを成し遂げたり、そういうことに憧れた時期もあった。
でもこれからは、この人が一緒だったらなんだっていい。
どこに住んでもいいし、仕事も変えたっていい。
そんなことを思った。

そして会社を辞めて妊娠して、またこの思いを強くした。

私の一番大切なものはやっぱり家族だ。
私はこの先も夫のために生きたいし、子どものために働きたい。

それから起業を考えたのも、目の前の一人を救いたかったからだ。

志望理由書の添削の仕事は、紙切れの上で、しかもたった1往復のコミュニケーションしか取れない。
生徒が書いた文章を添削して返して、おしまい。

生徒は私のことを知らないし、私も生徒のことを知らない。
返した原稿を、本当に生徒が真剣に読んでくれてるかどうかもわからない。
生徒もまた、何が何だかよくわからないで
学校の先生に指示されて書いてるのではないか。
そんなふうに見える原稿さえある。

こんなの意味あるんだろうか?

一定の意味はあると思う。でも、私が思うサポートとしては到底足りない。
本気で推薦狙って受験する子たちにとって、これは一つの練習にはなるけど、向き合うには不十分だ。

私なら何ができる?どこから関わればいい?

その答えが「一人一人に寄り添う」メンターの仕事だった。

アサギストとして覚醒しつつある才能

才能というか、講座では「魅力」と呼ばれているソレ。

私の場合、好きな人のためなら何でもできるっていうやつ。

5年前、誰かのために生きる方にシフトした
その時点で、決まってたと思う。

でもあらゆるコンプレックスや世間の常識が脳内を支配し始めた時に、それが何度かブレてきた。

でも今は、そういう変な揺れが感じられない。
自分の二本の足が地についてる感覚。

あの頃みたいな、不安や恐怖が無いんだ。

笑っちゃうくらい借金まみれで
今現在はむしろ安定した収入源はないのに。

でも、自分の信じる道が明確で
家族や周りの人を信頼できてるから
なんにも怖くない。

今は、お金になるかならないかは置いといて
自分が信じた人を最後まで押し上げたい。
それでその人が輝いてたら嬉しい。

幸い、いろんなことを広く浅く学んできた私だから
大抵のことは、人並みかそれ以上にできるらしいことが最近わかってきた。

だから、誰かの苦手な事を代わってあげることができるし、忙しい人の手伝いができる。

あ、これが光なんだ💡って。

何にも突出した才能はないけど
人のためならほとんどのことをそれなりにやってあげられる。

これって私だけじゃないじゃん。
私と同じタイプの人は、みんなこうなれるじゃん。

何ができるかより、誰のためにできるか?

私がやってるのは、自分が何者かになるゲームじゃない。
誰かを幸せにするゲームなんだ。

ああ、過去を回想してめちゃくちゃしんどくなったけど
もう多幸感に包まれて眠れそう笑


つらつらと書き殴ったけど、こんな長文を読んでくれたそこのあなた🫵

本当にありがとう。お疲れ様でした。

あさぎさんの話なんかちっとも書いてなくてごめんなさい。

でも、明日も明後日もライブはあるから
ぜひ見てほしいです。
私がこんなふうに気持ち込み上げてしまったのが、きっとわかるはず。

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それでは、また明日。
おやすみなさい🌕

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