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変わる「家族」#2 バトルフィールドと化した家族像

 前の記事で、家族の変容に関する講演を紹介した。

 同シリーズの次の講演も、「その通り!」と思える指摘が多かったから紹介しよう。
 今、家族像がバトルフィールドになっている、という内容である。

「変わる『 家族』」(2) 宮本太郎・中央大学教授 2024.7.25

キーワード

  • (家族の)昭和モデル・ネオ昭和モデル・不都合な真実モデル

  • (家族政策の)主婦支援型・両性支援型・市場志向型

  • (昭和モデルの独自性)①安定就労確保 ②皆保険・皆年金 ③税・保険料控除

  • (現在の3つの層)「安定就労+社会保険加入層」「新しい生活困難層」「福祉受給層」

  • 「新しい生活困難層」:低所得不安定就労層・ひとり親世帯・軽度の知的障害・低年金世帯等

  • 同類婚(パワーカップル・ウィークカップル)

  • (結婚の条件)配偶者の安定所得>家族にかかる負荷とリスク

  • ワーママvs主婦パート

  • 家族依存から家族選択へ

裏目に出る社会保険偏重

 日本の昭和モデルは、ドイツ・フランスなどの主婦支援型に近いが、現金給付が少ない点で異なる。その点を補う仕組みの一つが、皆保険・皆年金の社会保険制度だが、これが現在裏目に出ているという。

赤色は税、黄色は保険料

(昭和モデルの制度的特徴は)2番目に、さっき申し上げた社会保険、皆保険・皆年金を1961年という極めて早い段階で実現したということです。なぜ可能だったのかというと、税金を投入したんですね。
 社会保険というのは基本的に加入者の保険料で賄って行くものですけれども、日本の場合は多額の税が投入されてきた、ということです。ここにお示ししているのは社会保障の各制度、例えば基礎年金ですね。それから国民健康保険、介護保険等。ご存知のように、半分以上が税財源です。国民健康保険なんて、この図では半分ということになっていますけども、実態としては6割以上が税財源なんですね。これだけの税を投入して社会保険を維持してきたということです。
 今日本の社会保障給付、総額としては120兆から130兆くらいありますけれども、入口のところで見ると、4割が税・6割が保険料です。ところが出口のところで見ていくと、9割近くが社会保険給付という形で出て行っています。どうしてかと言うと、途中で税が保険の財源に充当されるということを通して、そういう結果になるわけなんですね。
 何でこんなことを強調してるかというと、その結果、税だけで運用している生活保護等の公的扶助ですね、ここの財源が切迫して、給付対象がすごく絞り込まれたことと合わせて、同じく税だけでの運用が想定されきた子ども・子育て支援等の財源も極めて抑制されてきてしまった。その分、社会保険も含めてお父さんの扶養力を高め、お母さんに頑張ってもらう、という形が定着してきたということなんですね。
 後でお話しするように、これが今裏目に出ています。安定的に働けていて保険料を払える人たちは、その保険料に税が上乗せされて、その税の恩恵に預かれるんですね。ところが安定的に働けていなくて保険料も払えない。社会保険加入を増大させるというふうに政府は言ってるわけですけれども、なかなかそう簡単には行かない中で、保険料も払えていないよ、という人たちは、消費税とかを払っているんだけども、その税が戻ってこない、ということになってきてしまっているわけなんですね。その分社会保険の信用は高くなるんだけども、税の動きは見えなくて、ある程度税の恩恵に預かってる人たちも、「自分は保険料でやっている」というふうに思っているから、今度少子化対策でどこに財源を求めるかという時も、税金上げると言うと、もう内閣がまた倒れるということで、医療保険に上乗せをする、と。保険の信用に頼む、と。
 だけれども、保険の信用というのは、実は税を投入して維持されているんですね。そういう何かある種の歪みをもうひと捻りするという形になったのが、今度の少子化対策の財源作りだったのかな、と。やむを得ない面もあるというふうに私は理解してるんですけども、ちょっとその辺りを整理して行くという姿勢がないと、この後大変だなとふうに思っています。

3層間の対立

 家族の昭和モデルが崩れた。その結果、現在は3つの層の間で家族の形が異なってきており、対立が生じているという。
 3層とその家族モデルは、以下である。
①「安定就労+社会保険加入層」からなる昭和モデル・ネオ昭和モデル
②「新しい生活困難層」からなる(『万引き家族』的)不都合な真実モデル
③「福祉受給層」からなる単独世帯

 こんな形で3つの層で家族のあり方が異なってきていて、しかもこの3つの層では皆しんどいんだけども、しんどさが違うんですね。
 安定就労+社会保険加入層は、給与明細を見るとまた保険料が差引かれてるし物価は上がるし、これまでと違って空気を読み忖度しまくらないと、いつ追い出されるかわからない、というそうした不安の中でやっていて、派遣とか非正規とか言うけれども、「あんたに俺のこの苦しさが、しんどさがわかるか」というふうに内心思っていたりするわけですね。
 それに対して新しい生活困難層は、福祉受給層に対しては、最賃、今度上がりましたけれども、それでどうなるかわかりませんが、最賃・フルタイムで働いていても、「自分の月収って、生活保護受給者の生活扶助プラス住宅扶助の合計にさえ劣るじゃないか」と。「何でそんなことになっちゃうんだ」。他方で、安定就労プラス社会保険加入層に対しては、「同じことをやっているのに、何でこんなに時給が違うんだ」というふうに憤るという形で、それぞれのしんどさが違っている。
 福祉受給層も、もちろんしんどいです。
 そうした中で家族のあり方もずれてきて、総互理解が難しくなって、連帯が芽ばえないという傾向が強くなっているということです。

片手落ちの異次元少子化対策

 政府の少子化対策である「こども未来戦略」(加速化プラン)の〝建付〟については、下の投稿などで紹介した。

 同じ点が講演でも指摘されていた。

 岸田政権の異次元少子化対策はどうなっているんだろうか。両性支援型の空気も目一杯盛り込まれています。そうした看板もたくさんここでは打ち出されていると思うんですけれども、しかし中身としてどうなんだろうか、ということですね。
 ここで示しているのは、少子化がなぜ進むかというと、一方では「有配偶出生率」、配偶者がすでにいる世帯で子どもをあまり産まなくなって行ってしまうという傾向と、「有配偶率」、そもそも子どもを産む前提として結婚することも経済的な事情から難しくなってしまっているという事態にどう対処するかという、2つの面があるわけなんですけれども、実は両者は密接に関係していて、これまで有配偶率の低下が少子化の主要因だ、結婚している世帯というのはそこそこ子どもを産んでいたんですけども、この10年くらいですね、有配偶出生率も下がってきちゃった。なぜならば、この昭和モデルで前提されていた家族負担の重さというのが依然として続いているわけでありまして、異次元少子化対策がここに、所得制限のない児童手当でコストの一部を軽減してくというのは、それとしては評価されてしるべきだと思います。おそらく政治的な理由もあるのかもしれません。有子世帯の支援になる現金給付というのは大変具体的に書き込まれています。
 しかし見ておかなければいけないのは、こうした昭和モデルの家族の重さがあり、さらにそこに加えて雇用の条件がどんどんどんどん劣化してるという流れの中で、有配偶率が低下する度合がより加速をしている。
「もう若い世代は結婚なんかしないんだ、したくなくなっているんだ」。出生動向基本調査のデータ見るとですね、確かに「結婚なんかしないよ」という声も若干増えてはいるんだけれども、20代・30代を中心に「いや結婚したいよ」と。男性でいうならば「結婚したいよ」という前向きの人たちが45%くらいで、ずっと何十年も同じなんですね。
 だけれども現実にはこの負担の重さが依然としてのしかかってきているのみならず、ここに「配偶者の安定所得>家族にかかる負荷とリスク」と書きましたけれども、「家族にかかる負荷とリスク」はこれまで以上に重くなっているし、若い世代は非常に繊細にセンシティブになっていますから、これまではリスクとも思われなかったようなことが非常に心の重荷になってきちゃう。
 それで結婚するとなると、それを補って余りある所得のあるパートナーを見つけなきゃいけないんだけれども、雇用の劣化の中で、そうしたパートナーを見つけることはこれまで以上に難しくなってきている。結婚相談所なんかは「大体年収600万・700万以上を女性のサイドは求めますよ」と言うわけですけども、その条件を満たす男性というのは全世代的に見ても9.5%くらいしかいない。若い世代で見ればもっと少ないという中で、この有配偶率が一層低下していくわけですね。
 ここに異次元の少子化対策はいかなる手を打とうとしてるのかと言った時に、「こども未来戦略」を仔細に読むとですね、「三位一体の労働市場改革、リスキリングで若い世代の所得を上げていく」と書いてあるわけです。
 これ、どういうことか。少なくとも、有配偶出生率を低下させるのにはある程度効果が期待される現金給付、これが非常に具体的に書き込まれていることに比べて、非常に抽象的です。しかも後で申し上げるように、このリスキリング、三位一体の労働市場政策の本場であるスウェーデンではですね、これがうまく行かなくなってるという現実もあるわけなんですね。

そして家族像がバトルフィールドに

 先ほど、家族像がバトルフィールドになりつつある、と言いました。
 日本もそうです。「フェミニズムvsバックラッシュ」「LGBTとそれに対する反発」。これは岩盤保守が自民党から離れて行った1つの要因ですらある「選択的夫婦別姓とそれに対するオポジション」。あるいはもっと身近で言うと「ワーママと主婦パート」等々ですね。
 これはですね、いずれも、職場の労使関係に起因する緊張というのは、お金で妥協できたんです。賃金を上げるとか、社会保障を充実させるとかね。
 ところが、こうした緊張関係というのは、お金で解決できません。
 例えば、保育所に子どもを預けて働くのがいいのか(ワーママ)、やっぱりそれはかわいそうだと考えるのか(主婦パート)。結論は出ません。そしてワーママから見ると何か子どもを「保育所でかわいそうだったかな」と思っちゃうし、主婦パートから見ると「あのお母さん、すごく生き生き働いて幸せそう」と思っちゃうし、結局いずれかを選択するということになると、そうでない場合、自分の人生がそうでない場合は、その人生そのものが否定されるということになっちゃう。
 そういう意味では、下手をすると自分のこれまでを否定しかねない非常にエモーショナルなトピックです。制度的な妥協は困難です。そういう意味で、日常の中でこういう話題を出すこと自体が「不適切にも程がある」ということになっちゃう。つまりポリティカリーインコレクトになっちゃうということですね。
 本当は、日常の中でそういうコミュニケーションがあれば、「ワーママも主婦パートもそれぞれこんなふうに大変なのね」「こんなふうに組み合わせたらどうかな」みたいな議論も出てくると思うし、「LBGTQの人ってそんな風に考えてるし、そんなライフスタイルなんだね」というふうに思える。
 ところが日常のコミュニケーションでは、これは抑圧されます。
 どこで暴発するかというと、SNSです。散々溜め込んでいたものがSNSで暴発をするという形になっちゃって、収集がつかないですね。
 その背後には、社会的格差の広がりがある。
 例えば、豊かで「リア充」、リアルに充実している人たちに対する「インセル」とか、非自発的に性的生活を抑制せざを得ない人たちとか、「弱者男子」とか言われる人たち。この緊張関係があったり、あるいは「子持ち様」、日本で子どもを持てる世帯って年収500万を下回ると子どもがいる割合はすごく少なくなっちゃうんですね。子どもを持っているということ自体が、実は幸か不幸か、ある種経済的な余裕があるということの証しになっちゃうんだけども、その条件が満たされない立場からすると、「乳母車が我が物顔で闊歩して、子ども手当というか児童手当もそっちに行って、自分の医療保険でそこを賄うのか」みたいなことになっちゃうわけですよね。
 こんなふうに社会的格差を背景として、家族像がバトルフィールドになりつつあるという事態ですね。

 上に引用した4つの内容は、まったくその通りと思われた。
 同時に、国会議員になるような「層」の人たちは、現状がこのようであることを認識しているのだろうか? と疑問に思った。
 少子化対策にしても、少子化だけを解決しようとしてもダメだろう。
 もっと大きな視点が必要だろう。諸制度を、家族形態に中立的なものに変えて行く必要があるだろう。
 そうでなければ、どのような対策をしても国民の間の対立が深まるばかりで、社会的安定が保てるとは思えないからである。

(追記)
 記事にはしないが、同シリーズの4つ目の講演の内容も面白かった。
 困窮家庭の子どもたちに関する話である。

「変わる『家族』」(4) 渡辺由美子・認定NPO法人キッズドア理事長

 面白かったというより、ショッキングだった。
 一方で、このようなリスクがあるから、長期安定収入に余程の自信がない限りは、リスクを回避するために子を持たない選択をする人が増えているのだろう(自分のように)、とも思った。
 子が貧困に陥るリスクに社会的に対応することなしに、「加速化プラン」程度のことをやっても、やらないよりはマシかもしれないが、出生率の向上にはほとんど効果がないだろうと思う。


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井川夕慈
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