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子ども・子育て支援金制度はこうして始まった。#総括 政府の説明・私たちの選択(1)

「はじめに」に挙げた二つの疑問に答えよう。

① 政府はいかにして、この無理筋とも思える制度の導入を成し得たのか。
② 国会が私たちの集団的意思決定の場であるとするならば、私たちはどのような選択をしたことになるのか。

 ①は、法案を通すための政府の「説明」に関するものである。「理論武装」と言い換えてもよい。
 ②は、私たちの「選択」に関するものである。

1 政府の理論武装(説明)

 支援金制度を創設する法案を通すために、政府は三つの主張を擁護する必要があった。

・支援金は社会保険料である
・支援金の徴収に医療保険制度を使用してよい
・支援金は適切な財源である

 これらの主張を通すため、政府はどのように理論武装し、野党の反論にどのように対抗したか。

1-1「支援金は社会保険料である」

 支援金は社会保険料である、と政府は主張した。
 その論拠は、支援金と社会保険は理念が同じだから、というものだった。
 例えば……

 この論拠は弱かった。
 なぜなら、同じ理念は税の根底にもあるはずのものだからだ。
〝連帯〟の理念をもって、税と社会保険の違いとするのは苦しいことだった。

 もしも支援金が、税でも社会保険料でもない〝第三の存在〟でよいならば、このような弱い論拠で政府が社会保険料だと強く主張するはずがない。
 支援金を社会保険料としなければならない理由があったに違いないのだ。
 その理由の推察については、別の記事(後日掲載)に記す。

 支援金を社会保険料とすることには、複数の不都合があった。
 第一に、支援金制度は、保険の定義にあてはまらない、という不都合があった。
 保険は「危険」に備えるためのものだが、支援金制度は「危険」に備えるためのものではないからだ。
 例えば……

 第二に、支援金制度には、保険給付がない、という不都合あった。
 保険給付が何もないところに社会保険料が成立しうるのか、という疑問は当然のものだった。
 政府は、保険給付ではない事業に社会保険料が使われている事例がすでに存在する、と主張した。
 しかし、この主張も弱かった。
 主たる保険給付が存在する中で従たるそのような事業が存在することと、そもそも保険給付が存在しないこととは別だからだ。
 政府は、給付の在り方は時代と共に変わる、という〝武見哲学〟を述べてかわした。
 例えば……

 第三に、政府は、税と社会保険料の区別に関する最高裁判例とも矛盾しないことを示す必要があった。
 最高裁は、社会保険料には反対給付性がある、判示していた。
 支援金に反対給付性はなさそうであった。
 政府は、反対給付性を考える際は、医療保険料・介護保険料・支援金の三者を全体としてとらえるべきであり、全体としてとらえた場合に反対給付性がある、と主張した。
 判決文を読む限り、反対給付性を全体としてとらえるべきか否かについて、最高裁判例は何も述べていないように思われた。
 しかし政府は、全体としてとらえるべきと判示されている、と主張して押し切った。
 例えば……

 反対給付性の問題をクリアしたとしても、支援金を負担するのは医療保険の被保険者等である。
 医療保険の被保険者等が負担する社会保険料を、医療以外のことに使用してよいのか、という疑問が生じる。
 第四に、政府はこの疑問に答える必要があった。
 政府は、保険給付ではない事業に社会保険料を使用する場合、①被保険者等に受益があること、②被保険者等の合意があること、の二点が必要であることを認めた。
 その上で、支援金制度は、医療保険制度の持続可能性が高まることで①が満たされ、国会で法案が成立することで②が満たされる、と主張した。
 例えば……

 しかし、①の受益については、いくつかの疑問が生じた。
 一つ目に、「医療保険制度の持続可能性が高まる」という受益は間接的に過ぎる、という点があった。
 そのような間接的な利益を受益と認めれば、社会保険料の使途は限りなく拡がってしまうだろう、と懸念された。
 政府は、支援金は医療保険制度を通じて徴収するために医療保険制度の目的の範囲内で使用するという縛りを受けるから、支援金の使途が限りなく拡がるおそれはない、と主張した。
 加えて、受益が間接的だという①の弱点は、使途を拡げるには国会での法改正が必要になるという②の要件によってカバーされる、と主張した。
 例えば……

 二つ目に、「医療保険制度の持続可能性が高まる」という利益を享受し得ない被保険者がいる、という問題があった。
 なぜなら、少子化に歯止めがかかり人口が増えて医療保険制度の持続可能性が高まるという利益は、すぐには生じないからである。仮にそのような利益が将来生じるとして、その頃にはすでに生存していないと考えられる世代の被保険者がいる。
 政府は、年齢に関わりなく能力に応じて負担する全世代型社会保障の構築に資する、として押し切った。
 例えば……

 三つ目に、「医療保険制度の持続可能性が高まる」という受益が生じるかどうかは確実ではない、という問題があった。
 支援金を充てる事業によって少子化に歯止めがかかるかどうかは、過去に実績のない未知の事柄だからである。
 このため、支援金制度の導入は、事業の有効性が確認されてからにすべき、とする意見が出た。
 しかし政府は、すでに我が国は危機的な状況にあるから時間的猶予はない、として押しきった。
 例えば……

1-2「支援金の徴収に医療保険制度を使用してよい」

 政府は、支援金を徴収する仕組みとして、医療保険を選んだ。
 その理由は、他の社会保険制度に比べて、賦課対象者が広いから、である。
 例えば……

 賦課対象者が広いことは、全世代・全経済主体で子育て世帯を支えるという支援金の理念に沿う。
 しかし、理念に沿うことと、使用してよいこととは別である。医療保険制度は医療のためにつくられたものだからだ。
 政府は、支援金の徴収に医療保険を使用してよい、と主張した。
 主張を擁護するため、政府は二つの点を挙げた。
 第一に、医療保険制度は、すでに医療以外のことに使われている現状だ。
 例えば、医療保険制度は、介護保険料の徴収や出産育児一時金の支給などにすでに使われている。だから、支援金の徴収に限って使用を認めないとすることは、一貫性に欠ける。
 しかし、医療以外のことに使われている事例がすでにあるとはいえ、医療と子育ての間の概念的な距離は、医療と介護、医療と出産の間に比べて遠い。
 そこで、制度の目的を明確にするために、健康保険法等の目的の条文を改正すべき、との意見が出た。
 しかし政府は、支援金制度は現条文の目的の範囲内と解釈されると主張して、受け入れなかった。
 例えば……

 第二に、支援金を充てる事業は、少子化に歯止めがかかることによって医療保険制度の持続可能性を高め、受益となる点を挙げた。支援金の徴収は、医療保険制度の利益になることだから、そのために医療保険制度を使用してもよい、と擁護した。
 しかし、この受益には、利益が生じるか不確実という難点のあることは既述のとおりである。

1-3「支援金は適切な財源である」

 政府は少子化対策の新たな財源に、支援金を選んだ。
 財源についての政府の考え方は、その時々の社会経済状況を踏まえ適切に選択されるべき、というものだった。
 政府は、インフレーションが進行中の現状を踏まえ、増税は適切ではないと判断した。また、国債残高が累増している現状を踏まえ、国債発行は適切ではないと判断した。
 以上のように現在の社会経済状況を踏まえれば、歳出改革を行うとともに、医療保険料に準じて支援金という社会保険料を徴収することは適切だ、と主張した。
 例えば……

 社会保険料を財源にすることには、複数の点から反対があった。
 第一に、少子化対策の目的の観点から、反対があった。
 理由は、社会保険料の負担は現役世代に重いから、である。
 現役世代には、これから子をもつかもしれない若い世代が含まれ、新たな社会保険料を課すことは、若い世代の可処分所得を減らし、少子化対策の目的に反すると考えられた。
 政府は、社会経済状況を踏まえるだけでなく、少子化対策の目的を踏まえても、支援金が財源として適切である、と主張する必要があった。
 政府は、①支援金は全世代で負担するから負担が現役世代に偏らない、②支援金は基本的に応能負担だから全世代型社会保障の考え方になじむ適切な負担構造である、などと主張し、少子化対策の観点からも支援金を擁護した。
 例えば……

 しかし、この主張は弱かった。
 なぜなら、全世代で広く負担する財源や応能負担の財源は他にもあるからだ。それに、少子化対策の財源に消費税を充てている現状とも整合しない。
 この少子化対策の目的にふさわしい財源をめぐる議論は深まらなかった。
 政府が、支援金制度の導入は「実質的な負担が生じない」と主張したからだ。
 負担が生じないのなら、若い世代の負担増を論じる余地はない。
 政府の言う「実質的な負担が生じない」の〝正しい〟意味については後ほど明らかにする。

 第二に、社会保険料を財源にすることには、企業行動に与える影響の点から反対があった。
 支援金は、医療保険料に準じて企業も負担する。
 負担が増えると、企業は賃上げを抑制すると考えられた。
 また、社会保険料負担を回避するために、企業は非正規雇用を増やすと考えられた。
 いずれも、若い世代の所得向上に悪影響を与え、少子化対策の目的に反する。
 政府は、支援金の導入が、賃上げ抑制も非正規雇用増加も起こさないことを示す必要があった。
 政府はここでも「実質的な負担が生じない」を用いた。
 負担が企業に生じないのだから、企業に影響があるはずもない。
「実質的な負担が生じない」は、「支援金は少子化対策の財源として適切である」という主張を擁護するにあたって、政府の理論武装の要を担った。

 ここで、政府の言う「実質的な負担が生じない」の意味を解明しよう。
 常識的に考えて、実質的に負担ゼロの財源が湧いて生じるはずがない。
 それでも政府は、最初から最後まで「実質的な負担が生じない」という説明で押し切った。
 押し切ることができたのは、それが完全なウソというわけではないからである。
 ウソではないが、「実質的な負担が生じない」の意味は限定されていた。
 それは、条件付きの「実質的な負担が生じない」だった。

 政府の「実質的な負担が生じない」には、二つの条件が隠されていた。
 条件の一つ目は、基準時点に関するものである。
 政府の「実質的な負担が生じない」は、歳出改革〝前〟を基準時点としていた。
 歳出改革〝前〟時点と支援金導入〝後〟時点とを比較して、「実質的な負担が生じない」と述べていた。
 これは、非現実的な設定だった。
 なぜなら、支援金の導入とは関係なく、全世代型社会保障構築のために歳出改革はすでに進行中であり、これをストップすることは考えられていなかったからである。
 政府の説明は、歳出改革〝前〟時点という現実的にはあり得ない空想的な時点を基準にしていた。
 このことは、質疑を通じて明らかにされた。
 例えば……

 常識的な人は、歳出改革〝後〟時点を基準として政府の説明を聞いた。
 歳出改革〝後〟時点と支援金導入〝後〟時点を比較すれば、当然のことながら、支援金の分だけ負担は増える。だから、実質的に負担が「生じる」と理解していた。
 このため、政府の説明と、常識的な人の理解の間に齟齬が生じた。

 条件の二つ目は、社会保険料以外の負担を負担とみなさないことである。
 政府は、「負担」という言葉を非常識的に狭い意味で使っていた。
 例えば、「実質的な負担が生じない」の「負担」には、医療サービス利用者の窓口負担が含まれていない。
 このことは、「実質的な負担が生じない」の指標として政府が挙げる社会保障負担率の計算に窓口負担が含まれないことから明らかである。
 しかし常識的な人は、窓口負担を負担とみなしていた。
 このため、政府の説明と、常識的な人の理解の間に齟齬が生じた。

 以上のように、政府の理論武装の要を担った「実質的な負担が生じない」という説明は、完全なウソというわけではないが、非現実的あるいは非常識的な二つの条件を前提にしていた点で欺瞞的だった。

 第三に、社会保険料を財源にすることには、負担の公平性の点からも反対があった。
 支援金は、医療保険料に準じて徴収される。
 医療保険制度は、医療サービスのために構築・整備されてきた社会保険制度だ。
 そこでは、医療サービスに関して負担と給付のバランスが図られている。
 医療保険料の体系は、そのバランスの中で負担の一部を表現したものだ(負担は医療保険料だけではないから)。
 ところが、支援金は、そのバランスの外から医療保険制度に課されてくるものだ。
 医療保険料の体系は、外部から課される負担を公平に配分するシステムではない。
 したがって、医療保険料に準じて課される支援金の額が公平なものになるはずもない。
 このことは、同じく医療保険の制度を通じて徴収される介護納付金などについても言えることである。
 しかし、ここでも政府は「実質的な負担が生じない」を持ち出した。
 支援金の導入によっては負担が生じないのだから、負担に付随する不公平が生じるはずもない、として押し切った。
 例えば……

1-4 政府の理論武装の強度

・支援金は社会保険料である
・支援金の徴収に医療保険制度を使用してよい
・支援金は適切な財源である

 いずれの主張についても、政府の説明は、まったく納得できるものではなかった。
「理論武装」と書いたが、それは「武装」とは呼べないくらいにひ弱なものだった。その一部は欺瞞的ですらあった。(唯一そうかな、と思えたのは、支援金の規模と使途が法律の条文に書き込まれ、その改正には国会のプロセスが必要になるという説明くらいか。)

 それでも政府の主張は通り、法案は成立した。
「説明を尽くしてまいりたい」「丁寧に説明してまいりたい」と政府は口癖のように言うが、この程度の説明で足りてしまうのが、現在の国会なのだろう。
 国会の外においても、月額五〇〇円弱という当初の暗示が効いたのか、国民の間に強い反対運動は起こらなかった(2015年の安保法制のときのような)。
 この程度の説明で支援金制度を導入し得たことは、選挙のない〝黄金の三年間〟において、また与党の政治資金問題のどさくさの中で、岸田内閣が達成した〝異次元〟の離れ技だったと言えよう。

(続く)


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井川夕慈
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